クリスマスだから

思い出してしまって。

 

f:id:knori:20181202161313j:plain

 

猫pさんが、教育について書かれています。わたしはあれやこれや思い出したり、ふと、教育現場は今、過渡期なのかなと思ったり。

 

 

tarokoさんの読まれた本について思い出したことがあるので書いてみます。

www.tarotaroko.com

 

 

「 お母さん自身の受容」について書かれています。ぱぱハートさんは非常に美しい文章を書かれます。時々、感激します。

papa-heart.hatenablog.jp

 

 それで、tarokopanさんの『イタズラは子供が伸びるサイン』という事なのですが、(わたしは未読ですが)、勝手に「子供の遊びやイタズラは子供を伸ばす」と推測して話を進めます。

 

あ、ウチの子供達はもう巣立ってしまいました。兄は学問の道へ進み、弟は普通の勤め人です。面白いことに弟の方は受験勉強が得意で、兄の方はダメでした。

わたしは兄の方とウマが合って二人で面白い事もいっぱいやりました。弟の方は全く手がかからなくてつまりほったらかしです。わたしはこの弟、4歳を2回、忘れました。

保育園に。

夫が出張でいないので、兄の方と一緒にイタリアンを食べに行きました。久々にとてもゆっくりできて、美味しいね!などと息子と言い合いました。

帰りの車中でわたしは叫びました。今日はどーしてこんなゆっくりできたんだろう?と思うと同時に弟の方を思い出したわけです。

わたしはきゃあきゃあ喚きながらスピードを上げましたが、それは「保育士さん、おこってるだろうな」という恐怖からです。2回やりました。

 

(念のために言っておきますが、わたしは二人を死ぬほど分け隔てなく愛しています。)

 

…話が逸れました。

えっと、それで兄の方は2、3歳の頃、10〜20センチくらいの車を押して遊ぶのが好きで、床や壁などを這わせていました。一時間くらい飽きずにやっていました。

その彼が学生のときに車の免許を取ったのですが、わたしは自分が免許を取った時に「カーブでは外側のタイヤが速く回り、内側が遅く回る」という事を読みまして、面白いなあ、と思ったことがあって、彼にそのことについて聞きました、「感激しなかったか?」と。

彼は「知っていた」と答えました。

つまり、幼児の頃の車押しの遊びです。「こんな単調な事を長時間やってるってこの子はアホちゃうか?」と心配していたんですが、得るものは得ていたようで、どうりで、必ず、車の下を覗き込んでいたはずです。 

 

 あと、これはわたしの事ですが、4、5才の頃、泥遊びが好きでした。

もう息子の子供時代にはすでに、そういう場所は無くなっていましたけど。雨上がりの土に水溜りが出来ているのが条件です。わたしは、川を作って遊びました。ヤンキー座りで、シャベルを使っているわけで、もう洋服は泥だらけ。母に叱られました。わたしは洋服を汚してはいけないんだ、と理解したと思いますが、雨上がりにはやりました。面白かったんですよ、泥水の流れや、それがシャベルで作った泥壁を壊したりするのが。

 

で、これがなんの役に立ったかというと、長い間、わたしが常識だと思っていた事柄が、案外そうでもなかった、という話なんですが…。

 

例えば、力をこう加えれば、こうなるとか、えっと、例を思い出せません。あ…ま、近いかな?車で段差のある所に侵入するとき、斜めに侵入すると車の腹を擦らない、という、これは常識かもしれませんが、それを知らなくても、直感的にそうやったりするじゃないですか?

まあ、わたしには土木技術のセンスがありましたん。(言われたんですよ、土木技術科の学生に「お前は、土建屋のセンスがある」ってね)。そん時は笑い話と思ってたけど。

 

弟の方にガーディニングを手伝わせていた時、土にこう力を加えるとこうなる、という常識だとわたしが思っていたことが、なんでも出来た彼が「いや、わからない」と言うんですよ。

 

なんだか、アホみたいなこと長々、と書いてしまったけど、子供の遊びはたぶん大事だと思う、というわたしの(いや、くだらな過ぎて、いま、恥ずかしいんですが)、思い出話でした。

 

 

f:id:knori:20181204190225j:plain

弟の方、彼が小学生か中学の時に描いた漫画。helってなに?ん、死神?

 

 

追記

lepommierさんと、tarokopanさんのコメを読んで気がつきました。お二人へのお返事がわりに、そのことを記事に追加します。

 

 

わたしは、いろんな育児ブログを読んでいて、なんて素敵なお父さんやお母さんなんだろうと思っていたんですね。

そして自分は悪い母親だったと思いました。おまけに自分の弁解にも気がついていました。(女の子だったらきっと違っていた、云々)。

 

子供が全く欲しくなかったわたしに子供ができ、子供はわたしにとって、夫への愛情の一億倍くらいの愛情の対象であって、ただ、それだけの対象であって、子育ては愚痴のオンパレードでしたね、わたしには。

 

わたしは、子供は自分にとって都合のいいように躾たし、だから、例えば、赤ん坊の彼らが水をこぼしたら、ガッツリ叱ったと思います。(コップについては初めから蓋つきストロー付きを使っていました)。

 

今のお母さんというのは涙が出るほど素敵で。自分の時間が奪われる事を厭わず、楽しんでる。

 

わたしも楽しかった事を思い出そうとして、でも本当は、そこにあったのは、自分が悪い母親だった、ということだったわけです。

まあ、冷静に考えれば良い母親の部分もあったとは思いますが。

 

子育ては、まあ、一人の人間をある程度の型にはめていく作業であるわけで、キリがないとも言えるし、いくらでも手を抜くことも出来ます…。

わたしは手抜きでしたねえ。

 

実を言えば、手を抜きすぎた次男について、「しまった。」と、つい最近、思いました…。


 

blank13

斎藤工監督。 2018年。高橋一生リリー・フランキー松岡茉優

 

f:id:knori:20181203231641j:plain

 

はしもとこうじ氏の実体験を基にした映画です。70分。

 

昔、韓流のはしりの頃、どーして自分は、中国や韓国の映画に惹かれるのか、考えたことがあって、それをこの映画を見て思い出しました。

「中国や韓国映画はモダン的なんだ。そして日本映画はポストモダン的である」と、かつて思ったわけです。

 

今の時代、これらの言葉が通用するのかどうか分かりませんが、つまり、例えば、「LOVELESS」、このロシア映画もわたしはモダン的だと考えてみます。

この映画は、主役のネグレクト夫婦の末期的結婚生活が描かれますけど、暗に、どこかメランコリックに豊かではないかもしれないけど、子供に対する愛を育む結婚生活への対比があります。

まあ、だから、崩れかけたモダンかもしれないです。

独断と偏見ですが、モダン的なものは物語が面白い!とにかく面白い、とわたしは思うんですね。(誰か、訂正してください)。

 

こちらの日本映画、「blank13」は、

父親が、小学4、5年生の男の子と、その兄、母親を残して失踪してしまいます。成長した兄弟の元に、父の消息が知らされます。父は余命3ヶ月で入院していました。

 

この事をどう考えます?

父との楽しい思い出を持っていた弟は、どう考えれば良いのでしょう?

自分は捨てられた。しかし、父との思い出がある。兄のように恨みつらみだけではない。

この映画はそこに焦点を当てています。

わたしはつくづく、あー、子供もたいへんなんだなあ…と思い知らされましたよ。

 

葬式で、弟は兄の後を引き取って挨拶を続けるのですが、この彼の挨拶が心に沁み入ります。(やなぎちゃん、高橋一生、よかったよぉー😋)。

やり過ぎてもいけない、塩梅の難しい、めっさ大事なシーンを上手いこと演じてましたん。

規範がばらけた時代のその断片がキラリと光るような、そういう部分がある映画でした。 

 

  

LOVELESS

アンドレ・ズビャギンツェフ監督。ロシア映画。2017年。

 

f:id:knori:20181202214921j:plain

 

左上の女の顔がちょん切れているでしょ?

わたしはこの女の顔を死んでも見たくありません!!!

…だってほんとに見たいくないんだ!!!

 

こほん。この映画はネグレクトのお話でした。精神的な虐待です。 

離婚寸前のこの夫婦は12歳の息子を引き取りたくありません。二人はどちらが息子を引き取るかで大喧嘩しています。

なんと、それをトイレのドアの陰で子供が聞いていました。

あり得ないことに、彼は声を押し殺して泣くんです。ベッドに戻ってからもなんとか声を抑えて慟哭しています。

ふつうというか、たぶんというか、おおよそというか、わたしが知っている子供って、泣きながら親の前に出るとか、そいう行動をとるような気がするし、鳴き声を押し殺す、という、これが信じられません…。(これがどれくらい凄い映像かというと、もうこの子は一生立ち直れないのではないか、とわたしは思いましたよ)。

 

 

まあ、わたしは、子供の慟哭を見せられた時点で可哀想で可哀想、不憫で不憫で、もう胸がギュウッっと絞り上げられた状態で、映画は朝を迎えます。母親に無視されたまま、子供はご飯が食べられない、と言い学校へ行きました。そして彼は失踪するのです。

 

この映画の優れているところは、これ以降、一切、子供を出さないところです。親との関係がどうだったとか、日本映画が根掘り葉掘りやりそうですけど、この映画、これしか見せません。

 

たった2本、ロシアの映像を見ただけですけど、なんというか、プロットの構造が面白いというか、つまり、物語が面白いんです!そう思います。(まあね、偉大なロシアの文学の歴史を思い浮かべているからかもしれませんけどね)。

 

ただ、そういう強烈な面白さを持ちながら、この映画でわたしは記録を更新しました。眠りに落ちる回数ですけどね。

 

冒頭から、わたしにとっては馴染み深い景色が広がります。

薄っすらと雪があり、木々も寒そうですが、川が凍っていませんので、温かいんだな、と思うわけです、だから春先か初冬かなと思って見ていたんですが、やはり、初冬でした。(実在の)ボランティア団体が子供の捜索を急ぎます。

本格的な冬がやってくれば、望みはないからです。私の地域ですらマイナス15、6度になるのに、モスクワは2、30度になるんじゃないでしょうか?

 

ロシアの女性は強い、というのを聞いたことがあるのですが、それにしても、夫との喧嘩のあの女のクソッタレぶりというのは前代未聞!!ほんと嫌いだ!

 

わたしは、「子供を愛しているけど、わたしにもわたしの人生があるのよ!」という女性たちに拍手を送ってきたのですが、このクソッタレ女に関しては、うーん、何故こうも不快なかよくわかりません。

 

 特にカメラがこの女の肢体をさも美しいかのように撮るんですが、んなもん、大した身体じゃないわあ!ちょっこと重量感のある身体してましたけど。

 

あと、なんか監督は「ロシアの結婚生活について見せたかった」みたいなことをおっしゃていて、まあねえ…確かにロシアは今急激に経済的に豊かになってきていて、若い人の間には野望というか虚栄というか、なにか監督の心に引っかかるものがあるんでしょうか?しかし、ロシアの結婚適齢期の若者達があの夫婦みたいな馬鹿者だとは限らないだろうと思う次第です。