女にも色々なことがあるものだ

彼女は「ご機嫌よう」と言った…。

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U子は、36歳で寡婦になった。お葬式の時、高校生の息子に寄りかかって泣いていた。喪服がとてもよく似合っていたことが哀しかった。

長いこと連絡が途絶えていたが、偶然、スーパーで彼女と出会った。

「knoriさん、お久しぶりでございます。」

一瞬、誰かわからないほど、面変わりした彼女は、長い髪をバッサリ切ってショートヘアにしていた。

「あ、あ、あ、U子だよね!あれまぁ、元気にしてた?」

懐かしさが込み上げてきたが、どうも話が噛み合わない…。

彼女は、「さようでございますか」「ごめんあそばせ」という言葉使いをするのだった。

わたしが「じゃあ、またね、バイバイ」と言ったら、彼女は「ばい…」と言いかけて「ごきげんよう」と言い直した。

 

…いったい、彼女に何があった?

もちろん、彼女もわたしもコチコッチのど庶民である。公家じゃあない!おまけに、こんな田舎町に山の手も下の手…ん?もない。そもそもお金持ちのスケールがちっこいんだ。

ま、ね。

女の人生も色々なことがある。いくばくかの可笑しみと哀しさに包まれる。

 

ある日、K子に誘われた。

「実は、〇〇氏と浮気している」と告白された。ほろ酔い気分がぶっ飛んだ。〇〇氏というのは、なんとわたしたちの子供のクラスメートのお父さんである。もう3年も付き合っているという。

K子は〇〇氏にすっかり本気で、家族を捨てて、彼と一緒になるつもりでいたが、ここにきて彼がハッキリしなくなった。早い話が、K子は捨てられかけていた。

家族に2人の秘密はバレていない、というので、わたしは、バレないうちに、彼とすっぱり切れなさい、と言った。

K子はこうした恋愛事件を起こしがちな人で、若い時に、男に捨てられて、自殺騒動を起こしている。だから、もう1人の友人も巻き込んで、3人でよく遊ぶようにした。

数年が経って、彼女も元気に立ち直ったと思っていた。

しかし、彼女は大事故を起こすのである。意識不明の重体だったが、奇跡的に回復した。彼女自身、ハッキリと意識していたわけではないだろうが、やはりこの事故は自殺に近いんだと思った。

 

女の人生には色々なことがある…。

ゆたかで愚かで鮮やかな人生が転がっているものだ。

 

 

さよなら、コダクローム

 アリストテレスは、悲劇は怖れと憐みの感情を呼び起こし、精神を浄化する、と言ったが、正にこのラストはカタルシスそのものだった。

 

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お話は粋だし、どっちゃり泣いて心爽やか…な自分がいる。いや、なに、わたしには息子役のような葛藤はないのだが、それでも、こういう塩梅になったのだから、この映画には幾ばくかの普遍性があると思われる。

 

 マーク・ラーソン監督、2017年。

エド・ハリス、ジェイソン・スデイキス、エリザベス・オルセン、ブルース。

 

疎遠だった親子は、唯一残された現像所を目指す。一生忘れることのできない最後の旅が始まる。Netflix

 

命が終わりかけている有名な写真家の父と疎遠だった息子が最後の旅に出る。

それをコダックフィルムの終焉とともに彩る。また、息子自身が音楽プロデューサーとしては時代遅れになりつつあった。そうしたもの全てをくるんだ粋な構成のロードムービーだった。

またこの父親がいかに家族を顧みなかったか描写されるのだが、わたしは本気で嫌いになったし、父としての哀れな嫉妬心に、わたしのいつものおセンチな同情心は全く発動されない。

 

しかし、「俺の写真は残る」という父親の言葉は、アーティスト特有の凄み、矜恃なのだ。それが最後に圧巻の重みを持って迫ってくる…。

 

 

泣きはらした目で、宅配を受け取った。いつもは明るい宅配人なのに、そそくさと帰った。こういう時って罰が悪いのは向こうなのねぇ。

 エド・ハリスの横顔、その死顔が、また、心に浮かぶ。そのシーンはゆっくりとした彼の死の予感から始まる。そして彼の横顔のショットが見事すぎるのだ。

 

 またわたしはティッシュに手を伸ばす…。

 

 

ブルーボトルコーヒーの思い出

 ブルーボトルコーヒーには思い出のかけらもない。

 

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いつも楽しみに読んでいるブログにブルーボトルコーヒーの写真が載っていて、東京はいいなぁ、行ってみたいお店がいっぱい、わたしは感嘆、羨望、感激していた。

その時、息子からLINEが入った。書類がどうとかなんとかの話しだった。

さっそく、「ところで、ブルーボトルコーヒーって素敵だねぇ。」と言ったのだが、なんと、わたしが東京に行った時に、彼はわたしを連れてったことがあると言う。わたしが好きそうな店だったから、だと…。

唖然、呆然、かけらも覚えてない…。

 

…歳だしねぇ。いやいや、これを歳を取ったから、で済ませて良いものだろうか?

この忘却癖を…。

 それともこういうことなのか?歳を取るって。

仕舞いには、忘れたことを忘れるんだ。だから、たぶん、心は穏やかだろうな。

まぁ、いっかなぁ。

グダグダ、落ち込んでいたら、Rが「そのお店、気に入らなかったんだね」と言った。

彼が神様に見える。そうだ、だって、その他の感激したお店は覚えてるもの!

わたしは、まだ、痴呆症じゃない!٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 東京へ行ったのは4年くらい?前のことだ。その時素晴らしいと思ったのは、とても大きな無印良品の中にあった。ものすごくおしゃれな大衆食堂、って感じのカフェレストラン。子連れの人たちで混雑していた。

子供が小さい時は、美しいものから遠ざかる。

若い暴れん坊の中型犬を想像してもらいたい。

その犬を連れて、美しく並んでいる食器を見行けるだろうか?美しい映画を見に行けるだろうか?シックなレストランに行けるだろうか?

しかし、そのカフェレストランは、おしゃれ心も暴れん坊もピタッと収めるコンセプトがあった。

わたしは感激しながら、周りを見回した。

子連れの夫婦達は皆一様に疲れ切った顔をしてぐったり腰掛けていた…。不機嫌そうな親達もいる。

ま、ね。

でもわたしは、無印さんに大いに感激して田舎に帰ってきたんだ。