女王陛下のお気に入り

むっちゃんこ好みでめっちゃんこ面白かった。 

ネタバレ注意!

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 左からエマ・ストーン(アビゲイル役)、オリヴィア・コールマン(アン女王役)、レイチェル・ワイズ(サラ役)。

 

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ヨルゴス・ランティモス監督(「ロブスター」「籠の中の乙女」の監督)。2018年。

オリヴィア・コールマンレイチェル・ワイズエマ・ストーン

 

18世紀初頭、フランスとの戦争下にあるイングランド。女王アンの幼なじみレディ・サラは、女王を動かす絶大な権力を握っていた。そこへサラの従妹にあたるアビゲイルが現れる…。−映画com

 

なんでもかなり撮影スタッフが変わっていたらしいが、ヨルゴス節は健在。不思議な感覚がする映像と笑えない笑い…。

なのにわたしはむかし見たフランス映画を思い出した。

ひとりの女は二人の男とそれぞれに肉体関係がある。三人は一緒に暮らしている。当然、すったもんだの挙句、ひとりの男が去るのだが、残された二人はうまくいかなくなった。そういう映画だった。

 

つまり、この映画は、アン女王とサラ、アビゲイルという三角関係のメロドラマだったと思う。

 もちろん、ヨルゴス監督は歴史考証にはとらわれず、現代風にアレンジしているので、社会的、政治的な分脈を面白おかしく読み込むこともできるが、わたしにとってこの物語の醍醐味は、三人の女たちの鞘当てにある。

 

 女王から寵愛を受けているサラは、完全に女王を牛耳っていた。二人には肉体関係があった。そこへアビゲイルが現れるのだ。まあ、三角関係ですよ。サラはアビゲイルに嫉妬し、アビゲイルはサラに嫉妬する。女王は自分をよくわかっている人で、自分は誰からも愛されることはないと思っている。しかし、この三人の関係を楽しんでいた。始めて孤独じゃなくなったのかもしれない。

しかし、ついにアビゲイルがサラを追い落とす。

後半、サラの手紙が、便りを待ち焦がれている女王に渡れば、サラは戻ってこられるだろう。しかし、アビゲイルは、その手紙を燃やしてしまうのだ。

このとき、アビゲイルは一筋の涙を流した。

サラがいない今、女王とアビゲイルの関係は優しさが失われ、女王は冷えびえとした孤独の中にいる。

 

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アビゲイルはこうなることがわかっていたんですねぇ。だから手紙を燃やしながら泣いた。しかし、手紙を渡せば、自分がサラに追い落とされる。

サラがいて、三人でいてこそ、優しさもかりそめの愛情も生まれることをアビゲイルと女王は分かっていた。

 

たぶん、サラはそれを分かろうとしなかった。彼女は夫の地位を固め家の財産をしっかりさせる目論見があった。(彼女は、ウィンストン・チャーチルの祖先です)。

夫と二人でいるときに、窓の外を見て、自分たちが追放になることをいち早く悟った彼女はアビゲイルの勝ちを理解したのです。もうイイわ、あきらめた、そんな表情だったと思います。

 

最後に、ウサギが次々と群れる映像が挟み込まれます。素晴らしいラストショットの数々です。

アビゲイルを跪かせ、愛人としてではなく召使として自分に奉仕させる女王にとって、彼女の人生にまとわりつく人々の群れは、ウサギのようなものでしかあり得なかったのかもしません。

それが、女王という立場なのです。

サラだけが、女王を人間扱いしたのかもしれません。

 

 

 

フレンチ・ポップスと浮世絵のお相撲さん

何となく心のリズムに合う曲を聴く。

フレンチ・ポップスが好きかな…。ボシュボシュ、ヴォサ、ヴォワァって言葉の音も好き。

 

Tu trouveras

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Rが元相撲取り<舞の海>の講演に行った。

たいそう面白かったらしい。Rが実演してくれた。

 

八百長は、むかしは八百長と言わなかった。義理や人情の世界だった。あぁ…あいつのお袋さん、今、入院しているんだったなぁ、とか、あいつ、これに勝てば、勝ち越しかぁ、とか…」

ここら辺でわたしはもう大笑い。

 

「対戦して一番、強かった相撲取りは、貴乃花武蔵丸で…」

おお!わたしが、顔が好きだったお相撲さんやん!

 

「 最近は、自分の頃と違い、懸賞金がたくさんつくので羨ましい。特に、遠藤がものすごい人気で…」

だよねえ。遠藤って浮世絵のようなお相撲さんだもん。懸賞金つけるなら、わたしも遠藤にするな。

ほぼ、外見しか見ていないわたしなのであった。

 

その他にここでは書けないすごい内幕話も聞いちゃった。ほぉ…いろいろあるんだわぁ。

 

 

「もう一杯、ワインいかが?」

チーズ風味のグリッシーニをポリポリ頬張っているRに言った。

 

 

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mother

マザーに何を期待する?…しかし、マザーのイコンは厚い。

わたしは悪い母親だった。(2050文字)

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断っておくが、子供たちは普通に健やかに成長した。だから、悪い母、と言っても犯罪者ではないし後ろ指を差されるほど、悪かったわけじゃないよ。さらに言えば、ありふれてもいた…。

 

例えば、ネグレクト、真綿で首を締めるような愛情、子供を非難し肯定しない母、色々あるだろう。

この中で、真綿で云々がどうもわたしは理解できない。想像できないんだ。

けれど、いま、何気に流行しているような気がする「子供を認めてやらない母」とネグレクトというのは、わたしにもかなり当てはまる。

 

母親は子供に日常生活のルールを教える。

上の子は左手を使おうとするので、「ダメ!こっちの手ってを使いなさい」「あ。だめっ。」に始まり、お箸の持ち方、姿勢、食べ方、お片付け等々、何遍も言うことになる。

もちろん、出来の良い子ならいっぺんでできて、「あらぁ!お前はなんてエクセレント!」となるかもしれないが、うちは違ったのだ。

勉強を教えることがあったならば、「すごい!やったね!」と褒めることができたのかもしれないが、うちの子達は宿題や勉強について聞いてこなかった。1、2度聞かれた算数の疑問は二人でうんうん唸って考えた…。

つまり、ここらあたりの記憶を引っ張り出されたら、わたしは、子供たちを褒めない、ダメ出ししかしない毒親だ。

もちろん、中学高校の頃は、ダメ出しからは遠ざかっていた。

けれど、やっぱり、わたしは、子供達をあまり褒めていないと思う。日常生活の中で褒めることは意外に難しい。

学校の先生たちは、「おかあさんがた、子供は褒めて育ててください」とよくおっしゃっていた。

…案外、子供のタイプもあるもかもしれない。上の子は、学校からの書類の類いを必ず紛失した。たまには持ってきた。ここでわたしはやねばならないのか?「ありがと、えらかったね!やったね!」と。1、2度はやったかもしれない。しかし、どうも馬鹿馬鹿しくていけない…。

この子の極め付けは、センター試験の申し込みだったか何か、それ(消印有効)を郵送しておかなければ、センター試験が受けられない、という書類を、彼は忘れいて、本局まで車を走らせた。

本局から出てきた彼はニコニコしてこう言った「余裕だったよ。12時までやってるんだって」

今は、夜の10時過ぎだ。リミットまで2時間を切ってる。どこに余裕があるというのか!?

ここで、子供を罵倒しない良い親もたくさんいるのだろうが、わたしは「おまえー!ばかーーーーー!」そして、いつかこれが致命的なミスに繋がるかもしれないことなど、説教となる。

 

 しかし、下の子は違った。上手いことわたしに褒められる状況を作るのだ。わたしは彼のことは割と褒めていたと思う。内心は、これはこれで問題があると思っていたが。

 

そして、子供を保育園に預けて働いたわたしは、母の助けがなければ、あの頃は無理であった。わたしは帰りも遅かった。

子供の記憶の塩梅によっては子供を顧みない母として思い出されるかもしれない。

 

わたしは、非常に不完全なダメな人間なのだ。そのアホが母親として子育てをする。

しかし、「あの人はあれで精一杯だったんだ」わたしは、子供にそう思ってもらいたい。

 

昔、何かで読んだが、母親という良き役割の概念は当たり前のように初めからあったわけではない、と。

つまり生みの親が子育てをしない歴史もあった、ということだ。

 

しかし、いつしかマザーのイコン的イメージは膨らみ、膨らめば膨らむほど、風当たりが強くなる。

欠点のある人間がマザーになるのだ。しかしことマザーの欠点は決して見過ごされない。

そしてこの事はよく忘れられ、ヘタをすると気付かれないこともあるが、多くの母親は子供を死ぬほど愛している。

 

ぶっちゃけ、わたしは子育てに関して信念がある。

 「子育ては、自分らしく精一杯やれば、それで良い。」と思っている。

なるべく自分の欠点は直すよう心がけるが、それだけで良い。つまり、わたしの欠点、欠陥のせいで子供達が傷ついても、見過ごしてくれないか、そういうスタンス。

というか、諦めろ、と強要している。なぜなら、わたしの欠点を見過ごせなかったなら、親になるとき、理想像を求め、潰されてしまうのではないか、と思うから。

理想を自分に課す親は、往々にして、悪い親になる。そういう例を見てきたんだ。 

わたしは、お前たちを愛してきた、それで良しとしてくれ…。

 

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むかし、鬱かアル中のシングルマザーが育児放棄をして、腹を立てた中学生の息子達二人に殴り殺された事件があった。…今でも忘れられない。

TVなどでは、食事を作らない母親は言語道断であると、息子たちに同情が集まっていた。

わたしは母親が可哀想でならず、何故、息子たちは母親を助けてやらなかったのかと思い、胸が痛くてたまらなかった。

 

完璧な良い親ではなかったわたしの話です。

子供を心身共に傷つける犯罪者のような親は範囲外の話しです。