「ザ・マスター」。この映画は、ポール・トーマス・アンダーソン監督の作品。
お話は、1950年始め。
神経を病んだ復員兵のフレディ(ホアキン・フェニックス)は、社会に溶け込めず、苦しんでいる。
そんな時、コーズ(新興宗教団体)の教祖トッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)に出会い、互いに、惹かれていく。
フレディのPTSDはトッドのメソッド、(瞬きせずに質問に答える)等々で、安定してきて、彼は、教団の大家族みたいなところで、少しの間は幸せそうなんだけど、やっぱり、遁走する。
そして、映画館で寝ているフレディにトッドから電話がかかる。
この電話はたぶん、彼の幻覚。
彼は、トッドのもとに向かう。
トッドは、フレディに、「お前が、ここに留まらないのなら、お前は、マスターなしで生きる初めての人間になる」という。
この「マスターなしで生きる初めての人間」ということを考えてみるに、
つまり、戦後、社会が不安定で、(伝統的価値観や、社会規範が崩れつつある)ときは、往々にして、宗教や絶対的なものに意味を見出す。
社会が安定しているように思えるときでも、わたしたちは、野生の自由のままで、社会に立てない。
宗教や、芸術、科学といった信念、なんらかの役割、等々の仮面を必要としている。
フレディはベッドで女に言う。
「瞬きせずに、自分の名前を言ってごらん」
フレディは「マスターのペルソナ(仮面)」をつけたのだ。(と、おもう。)