多様性

2、3のブログを読んで回って以来もやもや考えてます。これは実質「キャロルの続き」の続きです。

f:id:knori:20180624152335j:plain社会は多様性に満ちています。

多様性という言葉が含意するものの一つは、「自分と違う事柄を尊重する」ということだと思います。

 

そして、差別の是正や公平さを求めて戦う人がいます。

彼女彼等は差別的な事柄や差別を生みやすい組織構造、文化等について積極的に批判を展開しているようです。

 しかし、時に彼女彼らは、穏やかに見える、又は、それ自体は正しい反対意見に対して、過剰な反応を見せます。

本来は彼女彼らの味方になったかもしれない人を蹴散らしてしまいかねないような激しさです。

 

想像ですが、差別を受けている当事者の苦しみに無頓着な反対意見に対して、「全くこの痛みが分かっていない」と彼女彼等は受け取るのではないかと思います。

この苦しさをわかってもらって差別をなくしたい、と始めた運動だと思えば、その時、彼女彼等の頑張りは、激しくなるのも当然なのかな、と。

 

外国人労働者に対する搾取差別の状況をチラホラと聞きますが、これだって 当事者が声を上げて戦わない限り、多数の人には知られないままです。

 

戦うことは絶対に必要ですが、戦略として「穏健」に行く方が良いのではないかと、有象無象のわたしは、思いますよ。(結局、アメリカの公民権運動が終焉を迎えたのだって、大衆が差別の暴力的実態を映像で知ったから、とも言われているのでは?)

有象無象のわたしだってたぶん少しは大事なんですよ。