人情喜劇?(この言い方が合っているかどうか分からないけど、そんな感じの映画です)。
グザヴィエ(ロマン・デュリス)は、ウェンディ(ケリー・ライト)と同棲していて二人の子供もいます。
ある日ウェンディは、ニューヨークで出会った男性のもとに、子供を連れて行ってしまいます。円満に別れたはずでしたが、グザヴィエは子供恋しさに、ニューヨークへ飛ぶのでした。その後のあれこれを描いた映画です。
この映画は「スパニッシュ・アパートメント」「ロシアン・ドールズ」の続編、三部作の最後の映画で、グザヴィエはめっちゃわたしの好きなタイプです。だからたぶんその二つの映画とも見ているはずですが、覚えていない…です。
グザヴィエは、レズビアンのイザベル(セシル・ドゥ・フランス)から、子供が欲しいからと、精子の提供を頼まれます。(彼は彼女とも寝てます)。
それを承諾した彼はウエンディにそのことを話すのですが、ウエンディの顔がみるみる不信感に満ちて、けれど、グザヴィエはその顔に向かってニコニコしながら、「だって可哀想じゃないか」と言うのです。(笑ってしまう、今思い出しても)。
ウエンディに捨てられた彼ですが、小説家としての仕事は順調で、講演会に駆けつけ、お話をしようとするのですが、子供恋しさに声が詰まってしまいます。
そして彼は、隣町にでも引っ越すようにニューヨークへ引っ越しました。
ニューヨークの一等地に立つ超高級マンションを訪ねた彼はウエンディの彼氏と二人きりで対面するのですが、グザヴィエのぼろっよろっとした様子とデッカイ男との対比はすごく可笑しくて、グザヴィエが可愛いったらないの。
子供たちに対する権利獲得のために弁護士に相談するのですが、観光ビザでは戦えないので、アメリカ人と結婚しろ、と言われ、彼は…見知らぬ中国人と、サクッと偽装結婚しまふ。
いや、これらの筋書きは、決してコメディのためじゃありません。
グザヴィエは、いろんな枠組みがとっぱわれた精神の持ち主です。ちょうどグローバリゼーションが華やいでいた時代の子供なんですね。
グローバリゼーションの負*1の部分も描くのかなと思って見ていたけど、最後まで軽やかで、本業の仕事はもっぱらネットでパリの編集者とやりとりしてました。
上の写真ですが、彼は、この3人の女性たちと、寝てます。
心なしかレズビアンの彼女に助けを求めるように寄ってまふ。(ぷはは)
*1:グローバリゼーションには、ナショナリズムの勃興が張り付いています。
昔、蝦夷にはアイヌ民族が住んでいました。日本政府は「同化政策」を取りました。
多様性の排除です。「日本人と同じ扱いにするから、日本人になれ」というわけです。彼等は美しい民族です。その民族に豊かな文化、伝統を捨てることを求めました。その過程にはいろいろあったのでしょうが、混血が進み今現在、彼等はとけ込んでいます。もう、純粋なアイヌ民族は残っていないと言われています。
わたしが日本人であることを捨てて偉そうな違う民族になれ、って言われたらどうでしょ?屈辱的な悲しい話だと思います。
しかし、この政策は成功しました。
欧州では移民政策に多様性の尊重を歌いました。しかし、その結果、いろんな問題を抱えることになりました。多様性というものを政治的な大きな括りでみると、これは問題だらけですね。しかし、後進国の経済力が上がって豊かになってきたのはグローバリゼーションの経済政策のおかげでもあります。