この映画は…メロドラマかな?10年に及ぶ、恋愛劇でした。
グザヴィエ監督は「僕にオリジナリティなんてないよ。1930年から、映画はもうありとあらゆることをやってきて出尽くしているんだ」というような意味のことをおっしゃっていました。
が、いやあ、彼の映像は新鮮、何故かは分かりませんが、新・鮮!
ロランスはある日妻に言う、「僕は女になりたいんだ」
妻のフレッドとロランスのその後の10年間にわたる恋愛劇です。
彼は女になりたいけど、異性愛者です。妻のフレッドも異性愛者です。
女になりつつあるロランスは、妻が好きなので、同性愛者とい言うべきか…?
ロランスのワガママでこういう事態になったのではないし、もう起こるべくして起こったわけです。(よく30年間も我慢してきたなあ、とTVで性同一障害に悩む人のドキュメンタリー番組を見た私としては思います。)
大抵、恋人同士の愛は不公平なものでどちらか片方がより深く愛しているものだと言います。
この映画ではロランスとフレッドは互いに愛し合っていますが、ロランスの愛のほうがずっとずっとずっと大きくて強いです。
一度は別れた二人ですが、ロランスの詩集が送られてきて、フレッドが無言でそれを読むシーン。小さく波の音がします。それがだんだん大きくなって、あぁ、ロランスの愛に彼女はのみ込まれるわ、と思った瞬間、上から水がばざぁーって落ちてくるんですよ。これがコメディじゃなく!胸に迫るシーンとして成立してます。(マジで)
その他にいろんな仕掛けがありましたが、とても綺麗だったのが、なんとも言えない目線で女子学生の髪をいじる仕草を見ていたまだ男のロランスが、指にクリップを挟んで、自分の首を撫でるシーン。(上の写真です)。うわー、って思いました。
ラストも綺麗でした。
…せつないです。
*1:日本では性同一障害(トランスセクシュアル)と言ったほうが理解が進んでいるのかも。というのもわたしは性同一障害で悩む人たちのドキュメンタリーを見たことがあるから。(TVの力っておっきよね)。
でも、欧米では、性同一障害という医療概念が差別的ラベリングとして作用することを回避するため、彼らはトランスジェンダーと名乗っているようです。