w ベアトリス・マルタンをヘビロテ。
2018年のアルバムなんだけど、フランス語のながーーーいタイトルは「En cas de tempête, ce jardin sera fermé」。一曲貼ってみる。
Asai Takeshi、ヒグチリョウ共同監督。2016年作。
原作漫画は永井豪。
「デビルマン」の後半くらいかな、「あれ、永井豪ってすごい」って思ったんだ。なわけで、この映画を見たわけ…。
「キューティハニー」は2004年に庵野秀明が「ハニメーション」という撮影技法で実写を撮って、コケてる。もう一つの実写版もコケてる。
で…この映画、プロットはわたしは好きだよ。どんだけ、目新しさがなくても、使い古しでも、プロットはイイと思うんだ…。
つまり、日本は環境汚染のせいで居住可能域を上空に求め、高層ビルの上層階は快適で、地上は汚染された雨が降るし、下層に住む人々は、病気がち。
如月博士は死んでしまった娘の心を持つAIを作って地上に逃し、地上では抵抗勢力がもう一つの管理AIジル率いる治安ロボットソドムと戦っている。
ん十年後、如月瞳ことキューティハニーはソドムと戦いながらジルの追っ手をかわしながら生きていた…。
おもしろいしょ?
でも、監督は、映像はセンスあるけど、残りを忘れちゃってるつうか、カメラワークで語るってことをないがしろにしてるつうか、上手く言えないけど。
AIの瞳が、小さい時に彼女を拾ってくれたおじさんとおばさんが殺された事を聞いたシーン。抵抗勢力のリーダーが「ふん、所詮はAIはなんとも思わないんだな!感情が無いから!」つうんだけど、もう瞳ちゃんはさんざ、感情があるとこを見せてんだ!少女がソドムに捕まったお父さんにしがみつくとこ、おじさんおばさんとの楽しそうな食事、もう見せちゃってんだ。
そいで、ワザワザ、抵抗勢力のリーダーが瞳ちゃんには感情がない、ことを説明して、そして、瞳ちゃんが写って、泣くわけ…。
こういう首を絞めたくなるような幼稚なシーンが2、3カ所あるんだ。
ん…これ、監督のせいなんだよね。
そいで、最後だけど、(ネタバレするし)、、少女の心を持ったAIである瞳ちゃんは、決断するんだ、自分が犠牲にならねば、と。
でもさ、少女なんだ、子供を産んだ女ならいざ知らず、まだ少女だから、怖いんだよ、それで、振り向いて早見青年に言うんだ「いつもみたいに笑って」と。
ここを書いている時脚本家は泣いたと思うのね、わたし。泣かなくても、まあ、そういう大事なシーンなのに、見てるわたしは、はよせんか!と思ってたもんね!下で人が死にそうになってるから…。
監督がちゃんと演技指導して上手く撮れば、良いシーンになったんじゃないかなあ、と思うよ。
ま、で、見終わってから彼女が犠牲になって汚染空気を全部除去したけど、又、溜まるじゃん?これについてはどうすんのかな、と。(脚本家も細部詰めてないんだよね、あっちゃこっちゃ。)
ヒグチリョウって監督は、VFXでいろんな映画に関わってきて、CMとか撮ってた人みたいで、Asaiって監督も、CMとか短編映画撮ってる人みたい。
もうちょっと、高層と下層に別れた世界観ってのを表現してもらいたかったけど、きっとお金がなかったんだよねえ。
#訂正
ブログを始めたのはニャンがいなくなって半年後だった。なーにが数ヶ月。でも、いまでも、数ヶ月しか経ってない気がする。
多分、他にも色々間違ってると思う、誤字脱字含め。すみませぬ。でも、教えてくれてもいいんだよ。言い間違いとか、ずっと、「目下」を「めした」と読み間違えていたことが発覚。くぅ…笑われた。