モリーズ・ゲーム

アーロン・ソーキン監督、脚本。 2017年作。ソーキン監督は「ソーシャル・ネットワーク」などなどで有名な脚本家で、この映画が初監督作品です。

 

f:id:knori:20181103230043j:plain

 

ジェシカ・チャステインの豊かな胸がいっぱい出てきて、それだけが目に焼きつきました…。彼女って胸デカかったんだなあ。そして美人でした!

 

2時間20分があっという間に過ぎます。何というか…脚本の面白さを伝えるような映画です。映画内でミラーの「るつぼ」、ジョイスの「ユリシーズ」の二つ小説への言及があります。「るつぼ」は信念、もう一つは、親子関係としてのモチーフになっています。

 

原作は、モリー・ブルームの自叙伝です。モリージェシカ・チャステイン)はモーグルのオリンピック選手候補だったんですが、大怪我でスキーが出来なくなります。そして、ひょんなことからポーカールーム(賭け事)の経営に携わるようになり、FBIに逮捕されます。過去、現在を織り交ぜた話しの展開がスマートです。

 

ポーカールームの経営が非常にエキサイティングで危険なものであること。モリーの早口はそれらがもたらす緊張感の渦を作り出します。

 映画の冒頭で、モリーが勝者のメンタリティについて語るのですが、これは、小さい時から父親に叩き込まれてきたもの。私に言わせれば、モーグルという競技は、恐怖と隣り合わせです。もちろん、オリンピック選手の候補になるくらいであれば、恐怖はとっくの昔にアドレナリンにすり替わり意識されないのでしょうが。(たまに、「いや、怖いです」と言っている選手がいる)。

 

彼女はポーカールームの仕事に勝者のメンタリティ(と競技者としてのスリリングな高揚)を見ていたはずです。彼女は、それに嵌っていくのです。(あんな仕事に耐えられるって、マジかぁ!)

 

弁護士(イドリス・エルバ)と彼の娘の関係が、モリーには、自分と父親(ケビン・コスナー)の関係のように見えています。二人の父親はそれぞれ、娘を厳格に教育しているし、してきたのです。実は、彼らの教育は成功しているのではないかと私には思えます。何故ならモリーも弁護士の娘もまったく萎縮していないし、きちんと自己主張が出来る知的な娘に育っているから…。

 

モリーと父親の確執には別の問題があったことが、二人の語らいで明かされます。

「私はお前に負い目があった」この父親の答えは、泣きながらモリーが「弟たちみたいに愛されたかった」と言ったものに対してです。

父親は、十分に彼女のわだかまりを理解していたようでした。(信じられません…。どうして彼女に応えてやらないでいる事ができたんでしょう…。)

 

しかし、彼女の頑固さは父親ゆずりかもしれません。彼女は驚くべき信念の人でした。自分の信念、それは他人を思いやること、最後まで彼女は決してそれを曲げませんでした。

 

 

 

余談だけど、ジェシカ・チャステインとか「ブルーに生まれついて」のイーサン・ホークとかを見ると、あまりにも彼らの表現するものに圧倒されて、「キューティーハニー」の西内まりあちゃんをついつい思い浮かべちゃう…。

ヒッチコックだっけ?「役者なんて下手で構わない」つったのは。まあ、彼は俺が撮れば、どうにでもなるのだから、俺の言うことだけ聞いてればイイ、って自負なんだろうけど。確かに、それに当てはまる役者さんっていると思う。若手では、結構、ジェニファー・ローレンスもそうだと思う。彼女は別の力もあるけど。

 

でもさ、「私は告白する」のモンゴメリー・クリフトとか「めまい」のキム・ノヴァクとか、自分なりの解釈をヒッチコックにぶつけてきたから、彼はすごく嫌っていたみたいだし、全く評価していないみたいだけど、後世になってから、作品の評価高いよね?ノヴァクや神父について語っているのをよく見るもの。これは、やっぱり役者の力のプラスアルファがもたらしたもの、つまり深みが出るんだと思う。