ハワード・ホークス監督、1964年。レイモンド・チャンドラー原作『大いなる眠り』。
さすがにホークス映画を見たくなりました、ここを読むと。
ハワード・ホークス監督は、フランスの『カイエ・デュ・シネマ誌』が唱える作家主義の代表格の一人です。
1950年代、トリュフォー等に言及されるまでは、ヒッチコック、ジョン・フォード、ハワード・ホークスといった人たちは、アメリカでは、B級映画の職人監督と思われていました。
おかげで彼らに対する再評価が始まり、今でも、amazonなどで彼らの作品を見ることができています。
わたしは昔、1ヶ月に50冊近いSFやらハードボイルドやらを読みまくっていた時期があり、この映画の原作者であるチャンドラーも本屋の棚にあった分は読んだはずですが、ああしたアホな読み方は50冊がごっちゃになって何一つ、覚えていないのです。
けれど、映画の中ほどくらいには、残念ながら、結末を思い出してしまいました。
このチャンドラーの『大いなる眠り』では最後の最後で謎が明らかになった、と思います。その間、ジリジリするのかといえば、そんなことは全くなくて、ひたすらフィリップ・マーロウとともにたらたら楽しめた記憶があります。バーでしけたマーロウが飲んでると、美しい女性が隣に座り、ギムレットを注文するのです。ちょっとした目配せや、やり取り、アンニュイです。
まあ、つまり、これが原作ですから、映画でも犯罪の詳しい背景や組織についてはほとんど出てきませんし、きっちりしたミステリーサスペンスを期待して見ると、ガックリきます。
この映画は、つまり、ハンフリー・ボガードとローレン・バコールを見て萌えるために作られたとわたしは思いますね。
お話は、バコールとその妹は大金持ちの姉妹なのですが、妹が脅迫を受けます。その解決のために、ボガード(フィリップ・マーロウ)探偵が雇われます。
えーと、ですね、ボギーって知ってますか?
ハンフリー・ボガードの愛称です。ボギーはアメリカ中の男たちの憧れだったんです。どれくらいすごいかというと、様々な映画でオマージュの対象になってます。
ですがぁ…今回見て、さすがに…まず、彼はウエストでベルト締めてるんですよ!これは引くわ。
つうか、彼の魅力は、クールで、いわゆる、強くなければやさしくなれない、って男でしょうかあ。よくわかりません。
まあ、ボギーが造形した絶対的なキャラですね。みんな影響を受けたのじゃないかと思います。
で、ローレン・バコールですが、これはホークス監督が作り上げました。
雑誌の表紙のモデルだった彼女を発見したのはホークスの奥さんですが、バコールを作り上げたのは彼ですね。彼女の立ち振る舞い、発声も矯正しました。有名な彼女の低音のハスキーボイスです。
彼女の気品のある振る舞い、クールな表情、なにを考えているのかわからない冷たさ、ホークスの夢、理想の女が出現したわけです。
ボギーとローレンを眺めて楽しんでいるホークス監督の視線を感じまする。
この映画も、彼女のためにあるかのような展開ですし、彼女がキーなんですね。
というのも、彼女はなにも話さない。なにも話さない女に、当時の人々のように魅力を感じられるかどうかにかかっています…。
まあ、女がなにも話さないからお話が成立しているのであって、「ねえ、ねえ、聞いてくれる」と、率直が一番と思っているようなわたしタイプがベラベラ相談していたら、マーロウには問題解決の見通しははっきりと見えたはずで、この映画は成立していません。