ゴダール

「さらば、愛の言葉よ」は思考を刺激する。 

 

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でへぇー(酔いは醒めてます)。まっ、この映画は刺激的だったんですよ…。

つうことで、この映画がどう解らなかったか?をたらたらと。

 

題名の「言葉にさらばだ」というのは、たぶん、何ものにも囚われるな、ってことかなあ。人は、言葉に依って世界を認識するわけで、動物のように世界は見られない。つまり、物自体を認識できないってやつですよ。

 

まあ、そこんとこはいいとして、こんなにカメラを意識させられる映画って初めて見たかも。人物を撮ってる時も、おお、カメラマン転んだか?っていうような動き、傾きが入るのね。

ワンコの後ずっと付いて回って撮ってるし、おまけにかなり珍しいデジタルカメラなんでは?とか思わせる。見てる最中に!(わたしの場合はあり得ないしょぉ。)

 

それで、登場人物の個別性を消そうとしているところがあると思うのね。

だって、二人の女の区別つかない!し、出来事を反復させるってのも、なんというか、意味の発生を拒否ってるみたいで。

(顔の区別はつかなかったけど、足があれ違うな、変だなあ、というのは思ったんだけど。)

 

で、どうわからなかったか?

こうしてくだらない羅列をやってるうちに、闇の中、光が射しました!とかには全くならない!

見当がつかない。わかりません。(まあ、それでイイような気もするにはする)。

 

で、引用を使う意味をぼんやり考えていて、ゴダールって歴史に拘ってる?とか考えていて、思い出した。

 

映画って、無声映画から始まったでしょ。これってすごいことだよね?

だって、声ってものすごく大事だしすごく力があるじゃない?(もっとも、技術がなかったんだろうからしょうがないけど)。

 

わたしの幼馴染が、若い頃にガンで亡くなっちゃったけど、彼女の写真や(例えば、音を消したビデオでも)、によって、わたしのざわめく悲しい心は、むしろ思い出として落ち着いてゆくところがある。

けれど、彼女の録音された声を聞くと、それは生々しくて、全てが立ち現れてしまう、ところがある。

 

声ってイメージより力があるんですよ。

 

映画はそれを使わなかった使えなかった。この歴史は、面白いなあ、と。

 

 ん。だからなんだって?

そ、この映画、音と映像がズレているところがあったわぁ。

もちろん、意味はわかりません…。