その3「隠された時間」

やばい…。

オム・テファ監督作品……ネタバレ注意

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わたしの見た夢はこうだ。

 

「冒頭、少女は、心理学者に出来事を話している。

少年達がいなくなったこと。そして大好きな少年が青年になって帰ってきた事。

警察との出来事も話している。

心理学者の本ができた。船の上で少女は消えた青年にまた出会う。

なあんだ。冒頭と最後だけが現実で、真ん中は少女の想像なんだ。

となると、あの青年は誘拐犯なんだあ。(^O^)」

 

そして目が覚めた。

 

(この映画、一回しか見ていない。キチンと見直した方がいい、と思うけど、むっちゃんこ面白い「アンブレラ・アカデミー」TVドラマを身始めちゃったもんで、時間がなーい。)

 

で、この映画の印象の続きを書いてちょっと整理。

 

なんつうか、この映画って「時間」を見せられたなあ、わたし、っと思う。(この映画に関してわたしは盛んに、させられる、とか受身を使っているのも、自分的に首を傾げているんだ)。

 でっ、普通、時間って、目に見えないしょ?

でもこの映画って「時間」を映像にしたな、とか思うわけ。

 

時間が少しづつ動き出したというのに、いなくなってしまった友達。必死で探し回る青年。そして彼は水の中で(死んでいる)友達を見つける…。

 

それで、しばらく後に、青年はもう一度、水に潜るのだけど、その時にね、過去のシーンの記憶が、映像と重なるんですよ。

友達の笑う声や話し声が聞こえてきて、16年間の記憶が押し寄せ、彼は水に飛び込む。でも水の中の彼は現在にいるんです。

過去の記憶と現在の水の映像がビタッと重なるんですよ!

 

これ、わたし、たぶん「時間」を映像で見たんですよ。

 

 

そもそも、この映画は、 少年達も少女も全員同じ空間、三次元にいたんです。

時間がズレまくっているだけで。

それを監督は、少年達のシーン、少女のシーンと、織り交ぜなが見せていくわけですけど、視点はなんか、登場人物じゃなくて、わたしにある感じがします。だかrなのかなあ、受身はぁ…。

 

 

こうして、映画についてごちゃごちゃ思っているものだから、補助的に立ち現れてくる物語に、収束させて、スッキリするために、わたしは、あの夢を見たんじゃなかろうか…? 

 

さって、もうやめよ。ササッサ、フキフキ、掃除のイメージ🧹🧽