みんな違って、みんなイイ!

 

考えちゃった、会田誠氏が訴えられた件。みんなどう思う?

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わたしは「芸術的表現と道徳」という対立で思いあぐねましたよ。

 

ハリウッドなどでは、黒人に対する人種差別的なことに神経質になっていて、映画の表現を損なっても、ポリティカル・コレクトネスを選択する、なんていう風潮があるらしい。

ただ、アメリカがここまで来るには苦しい道のりがあったわけで、例えば、マルコム・Xの父親は、差別主義者に線路に縛り付けられて殺された。

(怖かったろうね…。発狂しそうになるよ、おいら。想像すると。)

 

そして法律が整備され、悪いことをしたレイシストはきちんと捕まって法で裁かれるようになり、差別は愚かしく恥ずかしいことである、と現在では浸透しているんだろう、と想像する。

(たとえ、差別があっても、それが悪いことなんだという道徳は浸透しているだろうって意味です)。

 

 レイプだって、ジョディ・フォスターが「告発の行方」という映画で取り上げて以来、被害者ばかり責められるのはおかしい、ってみんな思うようになったし、かなりのレイプ犯がつかまるようになったし、性差別も然りだろうと思います。

 

そしてそうなってくると、この道徳、規律が首を絞め始める。

魔女狩りやポリコレが要らんところで働きだす。

 

 

今、日本でも、体罰を法律で禁止しようという動きがある。

つまり、法というのは道徳です。

虐待する親は、捕まってもしらっとして、罪悪感がない。そういう状態を改善しようということだと思います。

 

そして、体罰は悪いことだ、という道徳が浸透した頃に、やはり、会田氏のような人が、裸の少女が体罰を受けている芸術作品を作り上げたりする。

 

つまり、芸術的表現は凝り固まった、閉塞空間を広げて、新しい思考の地平を目指そうとするもの、なんじゃ、ないかなあ、と代弁しておきます…。

 

早い話が、追いかけっこですよね。表現の自由と道徳って。

(んー…ちょっとね…会田氏の犬シリーズの絵、わたし、憎らしいんだよね。だから、どっか方向を捻じ曲げた可能性、あるかなあ…。)

 

でも、ともかくいま日本は、みんな違ってみんなイイ、を目指さないといけない。

そいう寛容な社会になっていかないと、多様化していく状況の中で、ごったごったな問題をワザワザ抱え込むことになってしまう、のかなあ、と思う。

 

 

猫pさん⬇️。わたしの目から鱗が落ちた記事です❣️

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