「このチーズケーキ、美味しいよ」と、カケラを食べさせられた。
スタバで待ち合わせた時のことだ。
クランブルチーズケーキだなあ、と思い、作ったが、ちょっと違うそうだ。
ブログを読み回っていて、思うことがあった。
だから、子供が就職する時、彼に話したことを書こうと思う。
人って、相手と価値観が違うと、見下したり、嫌ったりしがちなんだ。
例えば、意味不明な説教をする無教養そうなおじさん。
わたしは若い頃、そういうおじさんがすごく苦手だった。
ある時、飲み会で苦手なおじさんの隣になった。酔いも手伝って、おじさんの話を聞いているうちに、目からウロコ、というか、わたしは彼を(みんなから嫌われていた)、すっかり見直すこととなった。
人って面白い。
表面だけではわからない。きちんと奥がある。
おじさんの人生の歴史は、おじさんの哲学でもあった。
わたしは、同僚に、「あのおじさんは、きちんと話を聞くと、とても面白い」と、説明したが、誰も賛成してくれなかった。ほんと、嫌われてたんだ、あのおじさん。
もちろん、さっさと距離をとったり、逃げたりしたほうがいい相手もいるんだけど。
昔、NHKで見たドキュメンタリー。
南海の島に暮らす人々。
カメラは二人の少年を追う。一人は、体格のよい、漁師になるのが夢だという少年。
もう一人は体の細い、勉強がよくできる少年。
かつて、村では立派な漁師は尊敬されるべきものだった。身体の大きな少年は、昔なら、尊敬される漁師に育っていったのだろうが、今、彼は、学校の勉強についていけなくて、苦労している。
そして、昔なら、役立たずだったろう痩せた少年は、村に押し寄せてきた近代化の重要な人材になっていゆくだろう。
もっとも、昔の村の包容力には、役立たず、という言葉は存在しなかったのかもしれないが。
大っきな少年は、簡単な算数の問題が解けない。
すっかりショボくれているが、ひとたび、漁になると、天性の感が煌めき、すばらしい働きを見せる。
いずれ漁の形態が変わり、少年の能力は必要とされなくなる。
そおいうドキュメンタリーだった。
わたしは今、近代化された社会に住んでいる。
わたしは、自分の価値観(自分の世界)の扉をあけて、漁をする喜びに満ちた少年を理解することができるだろうか?