「和をもって尊しとなす」と「皆んな同じ」は違う

風邪を引きました。遊び疲れです。

 Rは出張中だし、薬でボーッとしています。

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 この金属の壺は、下の息子のプレゼントです。

連休中、3人でお店を覗いている時のことです。レンガに合うなあ、と思って壺を眺めていました。もしかしたら、だいぶ長いこと壺を見ていたのかもしれません。

下の子が買ってくれました!

(目に入れても痛くないほど可愛い子なのよ!)

 

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2人の息子は普通の人間に育ちました。やれやれです。

上の子供は、今の時代だったら、 ADHDと診断されたかもしれません。当時、ネットで調べると、息子にかなり当てはまるADHDは、米国では、子供に薬を飲ませていました。わたしは、うげぇ、ですよ!

 

机の前に座る習慣をつけるとか、人の話をよく聞くこと、話す前に考えること、周りをよく見ること、等々、の張り紙をしてました。 

(息子は、大人になって、くつろぐ時でも、机の前に座るのを好むようになりました。)…ヘッ?(・ ・)

 

 それとですねえ…わたしは、上の子供だけには、言ったんですよ、

「みんなといっしょに、仲良く、協力し合うことが大切」だと。イマイチ、反応が悪いので、「みんなと同じっていいことなんだよ」と、付け足しました。w

 

わたしが思うに、特に女子は学校生活の同調圧って嫌悪だったじゃないですか?

まあ、自分がそうだったので、このヘンテコな息子が学校からはみ出さないように、「和をもって尊しとなす」を叩き込んだんです。

 

この彼が中学生くらいの時です。

「えー!嫌だよ、みんなとおんなじ服でいいよ。」と言うではありませんか!

 

わたしは慌てて、人はみんな違うものだということ、違いを大事にするところから個性が芽生える、自分らしくあることはとても大切であること、などなどを話す羽目になりましたん!

 

まあ、現在、この子はテニュアの資格もありますが、研究所にいます。

教えるのが嫌なんだそう。そうでしょう、と思うよ、お前に教わる学生は災難だと思うもの。

 

日本の同族的な会社が完全に能力主義に移行するのなら、学校教育は大きく変革する必要があると思うわぁ。