枠に囚われているのは大人

「あら。どうしたの?」 

 思わず帰ってきたRに聞いた。

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 風邪でボーッとしているわたしは、Rが出張から帰る日を間違えていた…。

 

くそぉー…ちょうど、「OAシーズン2」を見ているところなのに!

バタバタと買い物に行って、おもちゃのイヤリングを見つけた。小皿の真ん中のヤツがイヤリング。

こういう年齢になると、どんだけ可愛くても、おもちゃは安っぽくしか見えないのよ。無念。

 

ところで、前回の「和をもって尊しとなすと…」の続きを大至急書く。

というのも、ミセスGさんと、frikandelさんのコメントを読んで、前回、わたしは、大っきく抜かしているなあ、と気がついたから。

 

 

絶対的なものなんて無いとわたしは思っている。

子供をどんだけ枠にはめようとしても、子供は枠を飛び出すものだと思う。

学校制度の中で、ある程度の枠組みを仕込まれるにしても、枠なんてものは、壊されたり、変化させられるために存在する。

 

けれど、どんな形であれ、枠組みというものは必要でしょ?

無いと困ると思うよ。

 

そして、日本の教師は優秀だとわたしは思っている。

彼らを信用して、協力すること。

文句ばっかり言っても、萎縮させるだけで、なんらかの好転なんてありはしない。

 

枠組みが悪さをしているときは、たぶん、大人に問題がある、と考えたほうがいい。

枠にはまって型にはまって、子供を萎縮させているのは、教師というより、世論と大人。変な言い方だけど…。

 

 会社がトップダウンだった昔は、出ない杭が好まれた。教育制度はそうした流れに影響されざるを得ない。

また、いろいろ変化があるのだろうが、型にハマった大人にはなるな、と強く思うよ。