アメリカン・サイコと迷子のアイデンティティ

ブレット・イーストン・ エリス原作、メアリー・ハロン監督。2000年。

 クリスチャン・ベール

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「決まってるぜ!」

彼は、二人の娼婦とセックスをしながら、ビデオに向かってポーズを取るのである。

脇に寝転がっているもう一人の娼婦の顔が秀逸だ。

彼女は、この男(クリスチャン・ベール)のヤバさと薄気味悪さを肌で感じていた…。

 

あらすじ

1980年代後半のマンハッタン・ウォール街を舞台に、投資銀行で副社長を務める一方で快楽殺人を繰り返す主人公を描くサイコ・ホラー…wiki

 

この男の朝の身支度はすごい!ボディケアに始まり、各種高級化粧品、ファッションブランドへの拘り…わたしは『なんとなくクリスタル』を思い出した。

 

が、その内、この映画、原作が下敷きにしているのはボードリヤールだなあ、と気がついた。(2冊ほど読んだがほとんど忘れている)。

8、90年代だったかな?消費社会論が喧伝された。

 生産の時代から消費の時代へと言われたのだが、つまり、モノ(商品)の付与価値や意味を、消費するようになった、と言われた。

 

映画では、男とその仲間のヤッピーたちが、ブランド物で身を固め、名刺の出来を競う。それらの<モノ>が与える意味は、自分たちは特別なエリートである、といったところだ。(モノの付与価値の消費)。

 

食事は、予約を取るのが困難な超高級レストラン。

 男は、同僚がこの超高級レストランの予約を取れたことに腹を立て、殺してしまうのだが。

 

 

 同僚の死体が入った袋を引きずっている。

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 まあ、さすがにここら辺りの文脈は、古いなあ、と思う。

今時、盲目的なブランド信仰にぶら下がっている人間っていないでしょ?

 

だけど、消費社会がもたらした?、シミュレーション全盛期の意味の喪失による個別性の消失みたいな描写は、すこし、わたしに何かを語りかける。

 

 男とその仲間たちは、おんなじような意味(付加価値)を追っかけている結果、彼らは均質化し、向き合うことを忘れ、彼らは、誰といたのか忘れ、名前すら忘れる。

 

 アメーバーの細胞の一つに成り下がるのだ。(アメーバーという共同体はもしかしたら面白いかも…?)

 

人はアイデンティティを求め、それは意味付けを求める事であり、さしずめわたしは意味なんて無いというアイデンティティの持ち主か…?

 

とても印象に残ったのは、女性の不動産業者らしき人。

男は殺した同僚の超高級マンションで女たちを殺しまくり、死体をその部屋に隠していた。

ある日、男がそこに行くと、部屋はリフォームされていた!

 彼から何事かを感じ取った不動産業者の女性は「騒ぎは起こさないで!2度とここに来てはダメよ!」と言うのだった。

 

つまり、彼女は、消費させる側の人間で、価値をつけて供給する側なのだ。

彼女は、超高級物件が格安物件(事故物件)になるのを防いだわけだ。

 

最後に、

ネットでは殺人は男の妄想か?という意見があったが、さんざんぱら、他人に対する無関心や個別性の消失を描写していたので、妄想ではなく、製作陣の消費社会に対する懸命な皮肉だとみたほうがいいと思った。

 

 しかし…主役の男は…死ぬほど胸くそが悪かった!

 死ぬほど嫌い!