二人並んだ背中を覚えている。
父と母は二人でとても美味しいギョウザを作った。
ギョウザの皮作りに手間取る母を見かねて父が手伝いだしたのだと思う。
わたしにとって、ギョウザは愛である。\( ˆoˆ )/
焼き餃子にするときは、薄力粉と強力粉を半分ずつ。
水餃子は、薄力粉は3分の1くらい。
ボールに小麦粉を入れ、塩を入れ、手でグルグル。
よく混ざったら、水を入れて捏ねる。
これが父は上手かった。
生地を袋に入れて、足でふんだりしていた。
捏ねあがった生地を棒状にして、金太郎飴のように切り分ける。
それをのし棒で、丸いギョウザの皮にのしていくのだ。よく、父の器用な手元を覗き込んでいたものだ。
ギョウザ作りは愛なのであるからして、後年、わたしも、Rのために張り切ったものである。
そしてガキンチョがいて、わたしは仕事もしていて、いつしか、ギョウザには市販の皮が使われるようになった。
ある日、わたしはギョウザを作った。
今回の具は野菜多め。水気のある野菜は塩もみをしてギュッと水分を切る。ポイントは、ニンニク、生姜、そして、鶏ガラスープ少々。具の感じを見て、ごま油かサラダ油を垂らして出来上がり。
さって、包もう、と思ったら、冷蔵庫に残っているはずだった皮がなんと10枚しかないっ!
すごく焦りながら、パンコネ機に小麦粉と塩、水を放り込んだ。
取り出して少し手で捏ねて、1ミリか2ミリ厚さにのばし、パンパンと型でぬいた。
穴だらけの残りを手で捏ね直して1、2ミリ厚さに伸ばして抜く。最後の一枚は多少小さめだけど、20枚完成。
子供達と一緒に包む。
二つに折った皮の手前側だけを3箇所折り込む。
いくら教えても子供達はできなかったなぁ。
「どう?手作りの皮は?」
「えー?わかんない。」
「おんなじ。」
「いつもとかわらない。美味しいよ?」
とみんな口々に言った…。
なーにが、愛よ!
これ以降、ギョウザの皮は決して手作りされなかったことは言うまでもない。
ギョウザの愛はね、わたしだけの両親の思い出、わたしだけのものさ。