時は、1977年。イギリスに暮らす高校男子生の三人組。その中の一人、エンという男の子の青春物語なんだ。
のはずなんだが、エル・ファニングの存在感が強くて、彼女だけの青春映画みたいに見える。
つまり、映画の設計とか構成をちょっとしくじっているんだと思った。
ニール・ゲイマン原作、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督。2017年。エル・ファニング、ニコール・キッドマン。 Netflix
彼ら三人はパンクに拘り、パンクに生きている。
エン君はコミックを書き溜めている。
知り合ったばかりのファニングに、彼のコミックの説明をするシーンがすごく可笑しかった。
「ウイルスボーイはパンクや!ダサい連中にウイルスを感染させて、ファシズや服従と戦うんだよ」
すると、ファニングちゃんは、
「服従の解決策が強制的な感染とクローン化なの?」と言った。
あはは。(๑・̑◡・̑๑)
まあ、見ているときは、ただ笑いながら、あの時代の若者の強烈な反抗的エネルギーをパンクぅ、ってのりで表現しているんだと思ってたのよ。
画面も切り替わ理が早くて、映像表現自体がパンクなん。
ともかくパンク、パンクなの…けど、(異星人の滅亡するコミュニティはパンクの行き着く先、みたいな)皮肉もかましているもんだから、まあ、とっちらかっているんです。
ところが、ファニングちゃんが、エン君じゃなくて、彼女の社会変革を優先させたときに、違和感があって…。
この違和感を考えずにはいられなくて、それが冒頭の、しくじってる、ってやつです。
なんつうか、パンクってのは、監督にとって、若者が、社会に対する無鉄砲で生き生きとした疑問や批判、夢みたいな大事な力のことなんだろうと思うのよ。
確かに、エン君は消費社会の批判もしてたわけで、でもわたしはファニングちゃんに見惚れて、さらさらさらさらと過ぎてしまう。
そそ、ファニングちゃんは、異星人なんです。冒頭ですぐわかるので、ネタバレじゃないと思う。
三人組はこの異星人たちのパーティーに紛れ込んじゃうのね。
エン君と金髪君はまあ、ここで、色々、ぶっ飛んだ色事を学ぶわけ。
そうした表現があったあとの、三人のちょっとした台詞のやり取りが、ユーモラスですごくツボ。
まあ、女の子との付き合いは、異星人と付き合うようなものだと悟った彼らは、彼女達が本物の異星人だと気がつかない。
あはは。\( ˆoˆ )/
ファニングちゃんとエン君が垂直に飛び跳ねるシーンをスローモーションで見せていて、「あぁ…青春」ってホロホロ。
ラストはホンワカします。
わたしは、楽しみました、この映画。