そりゃあもう私はオタオタした。
呑気にブログを再開した私が目にしたのは、優れた映画評のブログたち。
知識、情報の豊富な映画評。映画のテクニックを分析した総合的な評論、優れた考察や優れたノベライズ風ブログなどなど。
作家主義?なんだろ?パンする、なに?
えー!どうして監督の名前をおぼえているんだろ…?
えー、役者名も覚えているんだなぁ…。
ま、わたしは、彼らのブログに心が震えたわけです。
その震えは、それまでのわたしの映画での体験と同じです。
心が震える、揺さぶられる、脳がひっくり返る。なぜか心に残る、それが、私には良い映画体験でした。
印象に残ったことしか書かない、のが私の映画感想でした。
七転八倒しながら、本も読んでみました。わかったことは、これまでみてきた映画を見直しながら、勉強しなければダメなんだ、ということです。
…だから、あきらめました。
そして最近、昔のなにも知らなかった頃の、感想文に戻しました。
わたしにとって映画は、魂がひっくり返る体験であって、それを持つ映画に当たれば、やったー!すんごい映画見たーーー!!
まあ、こんだけなんですね…。
昔見て感激した「アイ、ロボット」。
やっぱ、この映画のミステリアスな引っ張り方が好き。ヒッチコックのすんばらしいサスペンスも楽しいけど、どうもわたしは、ミステリアス展開に弱い。ひかれる。
アイザック・アシモフ原作、アレックス・プロヤス監督、2004年。
ウィル・スミス。
サニーというロボットのミステリアスな表情が、その当時、 シンギュラリティという言葉はなかったような気もするけど、すでに提唱されていたとしても、ウィルのおばあちゃんのように、ロボット大好きでしかなかったわたしは、サニーの不思議な瞳に、意識とは? 異質なものとの共存とは?などというミステリーに頭を殴られたんだった。
私に言わせれば、ロボット三原則なんてどうでもよくて、この映画はとても先進的だったんだと思う。
その先進性はひとえに、サニーのなんとも言えない表情にかかっていた。