「家事仕事を労働と考えれば賃金が発生する」と、聞きかじったことをえらそーに言ったもんだから「へぇー。主婦って売春婦と同じだね」とっ、ほざかれ、しかしぐうの音も出ず、おまけに「あれま。その通りだわ」とわたしは思ったのでした。
20年近く前のネット掲示板での話です。
先日、ファンになったばかりのドクダミ淑子さんのkutoo記事を読んで、連想が連想を呼んだ結果、このブログを書いています。
まずわたしはkutooをよく知らない。ので、もしかして、ジェンダーについて考えている人なのかな?と考え、ついで、セクシュアリティ、これはよくわからんなぁ、そして売春!おぉ売春…結婚へと思いが及びましたん。
だから、以降の私の話は売春と結婚について、となります。
結婚とは何か?
これは、やっぱ、生きるために協働することですよ。
いまわたしの暮らす地方都市では、結婚後は、一部の人を除けば、共働きでないとやっていけません。
そういう状況の中での話です。
家庭という最小の共同体で、好きな人といっしょに、精神的、経済的に協働するわけです。
家事は、実は私はクソッタレな雑事だと思っています。
最小の閉塞した空間で行うしかない雑事であるからこそ、理解されずらい不満や疲れがドッカンとくるのです。まあ、女1人の肩にかかる場合はそうなりがちですよね。
けれど、生きるための家庭という場を作りながら、二人で協働するのだと考えれば、家事なぞ、どう分担してもいいわけです。
ちょいと脱線しますが、結婚という形にしか国家は保証を与えませんが、同棲やいろんな形の家庭にも法的な保証があるといいな、と思っています。(ホショウって漢字、あってる?)
で、おまけにです、
料理も掃除も洗濯もアウトソーシング、つうか、自分たちでやらなくともお金を払えば、頼むことができるし、出産も日本ではダメですけど、代理出産があります。
育児もナニーを雇えますよねぇ。
いやあ…次の台詞、わかります?(๑・̑◡・̑๑)セックスも外注できる。w
結婚に一体、何が残ると言うんでしょう。も、ね、協働しか残らんでしょ?
わたしの結論もお分かりでしょうが、売春は労働として国家が認めるべきだと思います。
ドラマや映画で、売買春のお話を見るにつけ、犯罪者扱いはないだろう、と思うのです。
ついでの連想なんですが、聖書なんかでも娼婦が蔑まれますけど、あれはどうしてなんでしょう?べつに、国家が結婚という単位を必要としていたとか、そんな時代じゃないですよね?
つうことは、娼婦というのは、主婦と違って、お金を取るわけで、それは、女の革命的自立なので、当時の権力者が叩いた?\( ˆoˆ )/
まあ、ね、与太話は置いといて、売春婦も母親も主婦もみんなおんなじ、である、という結論でござる。