手入れが行き届かない屋敷、曇り空の下の風景、1900年代の衣装風俗、全てが、詩情豊かだった。
ブラディ・コーベット監督、脚本。サルトル『一指導者の幼年時代』原作。2015年。
トム・スウィート。
1918年。ヴェルサイユ条約締結を目的にフランスに送り込まれた米政府高官。 彼には、神への深い信仰心をもつ妻と、まるで少女のように美しい息子がいた。 しかし、その少年は終始何かに不満を抱えていた…。Amazon
わたしが愛してやまない映画評論ブロガーたちが某所コメ欄で「映画に対する批判精神の欠如はよろしくない」と語り合っていた。
なるほど。では一つわたしも頑張ろうと思ってはみるが、わたしはだいたいは好きになった映画の感想を書く。例えば欠点を感じていても好きだぁ、と思った映画の感想だ。直近では「移動都市モータルエンジン」という映画がそうだ。
この映画については、欠点の原因を子供向け原作にある、としてみた。なにせ光るところがあったし、何よりCGが素晴らしいんだ。本当に好きな映画。
だから、
主人公のクソガキの男の子が出てくるたびに首を締めたくなるとか、素人目にもこの編集はくそだろう、とか、つまり、美しい画を生かすためにはその前後のシーンとのつながりがどれだけ大事なのかとか、つまり、息をのむ美しいショットって流れの中で生まれるんじゃないのかいっ!とか、そんなことは微塵も書いていない。…匂わせたかも。
そして、
まぁわたしは、どうしたって好きな映画が悪し様に言われれば、飛んでって弁護したくなるわけさ。あほだけど。
脱線したというか、ねぇ…
…この映画もねぇ…映像がとっても好みだったんだ。何というか、脚本も映像の展開も上手いなあ、って感じるけど、欠点がある。
わたしは知識教養に欠ける人間だよ。そのわたしが物申すんだけど、この映画のラスト、そこへの繋がりの悪さはどうしたもんだろう。むかしサルトルは読んだ。すべてコロンと忘れてるが。しかし、監督は読んでないだろ?と思うよ。
「人間は自由の刑に処せられている」ってのは、たぶん、人間は自由であるので、自分の責任において自分になる事ができる、なりたい自分になることができる、って事を言ってるんだと思う。つまり、それは生半可のことではないはずで、それを自由の刑に処せれれている、と言った。サルトルは一世を風靡したんだけど、やっぱ元気が出る事を言ったわけ。けれど、環境が人間に与える影響についてなおざりすぎるという批判が出てきて、下火になった。ということがあったんだ。
ところがこの映画は、アメリカの外交官か何かの父親と、そして母といっしょに3、4ヶ月フランスで暮らした、そのときの男の子の風景を切り取った映画なんだ。
言葉がわからない子供を教会の日曜学校か何かに放り込むし、母親は、子供にあまり構わないし、かといってきっちりナニーがいるわけでもない、構われない子供なんだ。
そうやって周りの影響を見せていく。これって、原作の意図からでっかく外れてるしょ!つうか、サルトルが否定したいものだよね。
そもそも、この子供は柔らかな殻とかでは全くなくて、ニヤついて、小石を人に投げつける悪ガキなんだ。
で色々ぽこぽこあって、ラスト。
成長した彼は独裁者になったらしい。それも歴史上の色んな悪名高い独裁者のごった混ぜ。
映画の美しさがすべて台無しになったよ、この瞬間、わたしには。