mother

マザーに何を期待する?…しかし、マザーのイコンは厚い。

わたしは悪い母親だった。(2050文字)

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断っておくが、子供たちは普通に健やかに成長した。だから、悪い母、と言っても犯罪者ではないし後ろ指を差されるほど、悪かったわけじゃないよ。さらに言えば、ありふれてもいた…。

 

例えば、ネグレクト、真綿で首を締めるような愛情、子供を非難し肯定しない母、色々あるだろう。

この中で、真綿で云々がどうもわたしは理解できない。想像できないんだ。

けれど、いま、何気に流行しているような気がする「子供を認めてやらない母」とネグレクトというのは、わたしにもかなり当てはまる。

 

母親は子供に日常生活のルールを教える。

上の子は左手を使おうとするので、「ダメ!こっちの手ってを使いなさい」「あ。だめっ。」に始まり、お箸の持ち方、姿勢、食べ方、お片付け等々、何遍も言うことになる。

もちろん、出来の良い子ならいっぺんでできて、「あらぁ!お前はなんてエクセレント!」となるかもしれないが、うちは違ったのだ。

勉強を教えることがあったならば、「すごい!やったね!」と褒めることができたのかもしれないが、うちの子達は宿題や勉強について聞いてこなかった。1、2度聞かれた算数の疑問は二人でうんうん唸って考えた…。

つまり、ここらあたりの記憶を引っ張り出されたら、わたしは、子供たちを褒めない、ダメ出ししかしない毒親だ。

もちろん、中学高校の頃は、ダメ出しからは遠ざかっていた。

けれど、やっぱり、わたしは、子供達をあまり褒めていないと思う。日常生活の中で褒めることは意外に難しい。

学校の先生たちは、「おかあさんがた、子供は褒めて育ててください」とよくおっしゃっていた。

…案外、子供のタイプもあるもかもしれない。上の子は、学校からの書類の類いを必ず紛失した。たまには持ってきた。ここでわたしはやねばならないのか?「ありがと、えらかったね!やったね!」と。1、2度はやったかもしれない。しかし、どうも馬鹿馬鹿しくていけない…。

この子の極め付けは、センター試験の申し込みだったか何か、それ(消印有効)を郵送しておかなければ、センター試験が受けられない、という書類を、彼は忘れいて、本局まで車を走らせた。

本局から出てきた彼はニコニコしてこう言った「余裕だったよ。12時までやってるんだって」

今は、夜の10時過ぎだ。リミットまで2時間を切ってる。どこに余裕があるというのか!?

ここで、子供を罵倒しない良い親もたくさんいるのだろうが、わたしは「おまえー!ばかーーーーー!」そして、いつかこれが致命的なミスに繋がるかもしれないことなど、説教となる。

 

 しかし、下の子は違った。上手いことわたしに褒められる状況を作るのだ。わたしは彼のことは割と褒めていたと思う。内心は、これはこれで問題があると思っていたが。

 

そして、子供を保育園に預けて働いたわたしは、母の助けがなければ、あの頃は無理であった。わたしは帰りも遅かった。

子供の記憶の塩梅によっては子供を顧みない母として思い出されるかもしれない。

 

わたしは、非常に不完全なダメな人間なのだ。そのアホが母親として子育てをする。

しかし、「あの人はあれで精一杯だったんだ」わたしは、子供にそう思ってもらいたい。

 

昔、何かで読んだが、母親という良き役割の概念は当たり前のように初めからあったわけではない、と。

つまり生みの親が子育てをしない歴史もあった、ということだ。

 

しかし、いつしかマザーのイコン的イメージは膨らみ、膨らめば膨らむほど、風当たりが強くなる。

欠点のある人間がマザーになるのだ。しかしことマザーの欠点は決して見過ごされない。

そしてこの事はよく忘れられ、ヘタをすると気付かれないこともあるが、多くの母親は子供を死ぬほど愛している。

 

ぶっちゃけ、わたしは子育てに関して信念がある。

 「子育ては、自分らしく精一杯やれば、それで良い。」と思っている。

なるべく自分の欠点は直すよう心がけるが、それだけで良い。つまり、わたしの欠点、欠陥のせいで子供達が傷ついても、見過ごしてくれないか、そういうスタンス。

というか、諦めろ、と強要している。なぜなら、わたしの欠点を見過ごせなかったなら、親になるとき、理想像を求め、潰されてしまうのではないか、と思うから。

理想を自分に課す親は、往々にして、悪い親になる。そういう例を見てきたんだ。 

わたしは、お前たちを愛してきた、それで良しとしてくれ…。

 

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むかし、鬱かアル中のシングルマザーが育児放棄をして、腹を立てた中学生の息子達二人に殴り殺された事件があった。…今でも忘れられない。

TVなどでは、食事を作らない母親は言語道断であると、息子たちに同情が集まっていた。

わたしは母親が可哀想でならず、何故、息子たちは母親を助けてやらなかったのかと思い、胸が痛くてたまらなかった。

 

完璧な良い親ではなかったわたしの話です。

子供を心身共に傷つける犯罪者のような親は範囲外の話しです。