「“ともに、生きる” 障害者殺傷事件 2年の記録」

 むかしはNHKのドキュメンタリー番組が好きだった。

 その“好き”は、TSUTAYAに負け、そして動画配信サービスに負けていた。

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が、AmazonプライムNHKオンデマンドを見られるようになった。


R はNHKオンデマンドに登録している。彼からパスワードやらIDやらを聞くのが面倒で、今までほったらかし。

でも、ガチラノさん の記事を読んでいて、やっぱ見たい!わけで重い腰を上げた。 

あらら、どこにもログインボタンがない。しょうがないので登録ボタンを押してみた。

かぴょーん、一発で登録になっちゃった。つまり、Amazonから課金される。

…二重に課金されるの?

RにNHKオンデマンドを解約する様に言った。

「はぁ?」「んー。」二人とも訳がよく分からない…。

 

 

 AmazonプライムNHKオンデマンド

Nスペ 社会S1ー115、ドキュメンタリー、2018年。

 

相模原市津久井やまゆり園で、重度の知的障害者19人が殺害され、27人が重軽傷を負った事件から7月26日で2年になる。「意思疎通できない障害者は不幸しかもたらさない」。植松聖被告が語った動機は社会に大きな衝撃を与えた。

NHKスペシャル | “ともに、生きる”~障害者殺傷事件 2年の記録~

 

 なかなか衝撃的なドキュメンタリーだった…。

植松被告は

「意思疎通の出来ない障害者は生きる価値がない」

「日本国は棒大な借金を抱えていて、障害者の面倒を見る余裕はない」

ということを言っている。

障害のある娘を持つ社会学者の最首悟氏が「植松被告の言う事は、多数派の気持ちでもあるでしょうねぇ。」とおっしゃった。

番組はこの最首氏の言葉に答えようとする構成になっている。

 

一人の青年がとても印象的だった。彼は、工場で働いていたが、植松被告の言葉を聞き、人を殺すことは論外だがと断ったうえで、「自分が障害者になったら生きていたくない。それはつまり、障害者は生きるに値しないということですよね。自分は植松被告に近いのではないか」そう悩み出したと言うのだ。

 

わたしの印象だが、植松被告や青年には、「能力やスキルがあってプロフェッショナルに仕事をする」というような価値観に対する拘泥がある。自分を肯定できない足掻きを感じる。

 能力主義と言っていいのかどうか分からないが、なんというかそうした政治経済政策の末路が露呈した、と言っていいのではないかと思う。

 

 そして、仕事のスキルや能力にしても、AIにいずれ取って変わられると言われている。

多くの仕事がA Iに奪われることになる。経済学者のケインズが「技術の進歩によって資本主義経済は崩壊するだろう。」「しかし、人類は知恵を出し合い、新しい形を編み出していくだろう」というようなことを予言していた。

いま、そうした資本主義経済の転換点に差しかかっていると思われる。

 

 わたしたちは再配分なしには生きられないだろう。

教育、医療、福祉といった再分配なしには社会は成立しないでしょ?

いつの時代でもお金持ちは一握り。大多数は再配分の恩恵に預かって生きてきた。この考えを否定することは、大多数の首を締めることだ。

 

 最首氏が深く考え込んでしまった、「命」についての問題。

長い間、殺し合ってきた歴史を持つ以上、そして、哲学的に、理論的に、自殺は自由だとしか言えないような文明の中で、まけもけさんが「あなたの命はとっても大切なんですよ」と言った。

あのときわたしはちょっと感動したんだ。そう言うしかないものなんだ命って。

 

わたしは、生き方を考えなければいけない、そういう時が来ているんだ、そう思う。