まちがいだらけの返答

わたしはミセスGに憧れていました。

 

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 彼女がその気になると、お手本のような素晴らしい文章を書きます。

彼女と話してみたくてわたしはブログを再開しました。彼女に軽口を叩けるようになるまで、2年もかかりましたよ。

 

ときどき彼女は日本に対する違和感を口にします。 

 カズ・ヒロ氏がアカデミー賞の記者とのやり取りで「日本大嫌いです」と言った事と近いのだろうと思います。日本の同調圧は仕事をさせない、彼はそれにほとほと疲れ果てたようです。

Gさんも、また、同調圧、横並び、均一、といった空気感をたびたび話題にします。

今回、Gさんの口調に、何故かこれらの空気感について、悩み出しているような、揺れを、感じました。👇

www.realoclife.com

 

 ですので、同調圧、横並びといった日本人自身が重々、承知しているこの空気感とはなんであるのか、わたしは考えてみたくなりました。

 

わたしは無知ですので間違いだらけの印象と推理ですよ。弁解すれば、ある程度の推理に基づいて、本を探し始める、というのも悪くないと思っております…。

 

昔、ソニーの社史をまとめた本を読みました。ソニーは社史を編纂するにあったってまったく外部の外国人にまかせたのです。

その本の中で、二点、印象に残っています。「ソニーは世界的な大会社ではあるが、巨大な“同族会社”であった」「創業者のなんたらかんたらを大事に祀ってある」

 

江戸時代の事が浮かびますよね。

徳川家も、家康を現人神のよう祀っていました。 “家”というもののまとまりが重視された時代です。家に属するものは、家を守り、終生守られた、のだと思います。

日本には、神のような絶対的なものが無かった、つまり、徳川家、前田家といった家の価値観を打ち壊すための、多様性を持った後ろ盾が無かった、といえると思います。

 

それは、幕末に外国と接して、天皇を担ぎ出し、やっと中心主義的な権力を手に改革、革命をやったことで壊されました…。

が、風土として、家の感性は残ったんだと思います。それが、かつての終身雇用を実現していた“会社”であるわけです。

そのとき、とても日本は社会主義的だと言われました。どんな学者、文化人が言ったのか覚えていません。

CEOの給料は、欧米の10分の1以下だったそうです。

平等、公平がほぼ実現されていた、と言えるのではないかしら?

平等、公平という政治的な仕組みは、自由に制限をかけざるを得ません。出る杭は叩かれます。その空気感は、つまり、同調圧であり、横並びです。絶対的なものがないぶん、信条の分母が狭く、感覚がセコくなりがちなのかもしれません。

 

しかし、今は、終身雇用は崩れ去り、能力とスキルで仕事をし、転職も容易になってきました。欧米並みの能力主義社会です。あんがい若者の自己肯定感の低さも、ここに起因しているかもしれません。だって、才能や能力を持つ人は多くはないでしょう?

多くの人は、平凡なんですよ。

 集団の理(ことわり)の中で生きてきたが、その箍が外れ、つまり規制が取り払われつつあり、個々人は、弱肉強食の自由の中で生きることになってきたのではないか?

…そうした過渡期にあるのかもしれませんし、あらたな集団の理を見つけ出すのかもしれません。