たぶん、“概念を奪う”という面白いコンセプトの実現に失敗している。
おー。久しぶりの黒沢清だぁ。つうことで見たが…これは舞台劇なら抜群だったかも、と思う。調べてみると、この映画は舞台劇を元にしていた。
Hulu
黒沢清監督、2017年。
宇宙生命体が3人の男女に寄生。宇宙人は、人から概念を奪う。彼らは地球を侵略しにきた先遣隊だ。
まず、宇宙人に寄生された人物は完全に乗っ取られる。
宇宙人は問う。「家族とはなにか?」「自分とは何か?」「所有するとは何か?」「仕事とは何か?」「邪魔者とは何か?」「愛とは何か?」
真面目に答えないと宇宙人が怒るので、問われた人々は、取り敢えず、頭の中でとっちらかっている事柄を一般化して、つまり概念として答える。
こうした台詞のやり取りって、舞台劇ならではの生の緊張感が、茫漠としたイメージを生み出して、とても面白いんじゃないかと思うのね。
でも映画の中では凡庸…。
わたしは最後まで飽きずにこの映画を見たけど、不満が残った…こういう時、感想は書かないんだが、やっぱ、黒沢清の底力というか、感想を書きたくなる力がこの映画にあるんだわぁ…。
松田龍平は宇宙人に乗っ取られて歩き方さえ忘れてしまっている。妻の長澤まさみはたいそう苛ついている。
なにせ、夫は浮気をして他の女性と一泊旅行に行ったらしい。
ところが、妻はどこか気っ風がいい、というかあっさりしているというか、怒りながらも細々と夫の世話を焼く。この妻役の長澤まさみがとても良かった。
彼女の妹役の前田敦子が印象的で、彼女は、家族の概念を松田龍平に奪われるのだが、一筋の涙が流れ、彼女は豹変する。すでに姉を赤の他人と感じているようだ。
宇宙人は、概念を聞き出したあと、イメージしろ、と言う。それからおもむろに奪う。
イメージとはつまり、記憶を奪ってしまうのか、記憶にアクセス出来なくなるのか、よく分からないが、姉と一緒に遊んだり、時には涙も拭いてもらっただろう、そういう記憶を奪われたなら、そりゃあ、姉もただの他人にしか思えないだろうと思う。
この辺りの監督の整理がよく分からない。
また、かなり早い段階でネタが割れる、、アレで最後をまとめないでね、と思っていると、堂々とアレでまとめてきた…。
黒沢清はいくつになったんだろう?この映画のエンタメ志向には説教臭さがある。
と、書き終えたところで、👇を読んだ。
あ、そうか、と思う。監督の“概念を奪う”云々は、映画の精霊に感じ入った監督が、ハペさん言うところのアニミズムならぬ、メタ映画的な思考実験のようなものに囚われていたのかもしれないなぁ…。。