あと一歩を踏み出せば、麗姫は自由になれました。しかし踵を返した彼女は…嬴政を助けに向かうのです。
麗姫と後の始皇帝、 嬴政。☝️
原題「秦时丽人明月心」2016年。
チャン・ビンビン、ディリラバ
敵兵に囲まれた嬴政は4日間も一人で逃げ回っており、怪我もしています。もう戦えません。万事休す、です。
その時、一本の矢が敵兵の胸に突き刺さります。麗姫が助けに来たのです!
わたしはこのエピソードがあまりにも美味で心がふるふると震えました!
(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
このメロメロドラマは、ヒロインを巡って二人の男が対立します。そして、男たちは、ヒロインを信じられずに、疑心暗鬼に陥り、嫉妬でそれはそれは苦しみます。
メロドラマと分類される物語は、低俗で三文小説のような扱いを受けることが多々あります。けれど、なぜか、メロドラマはたぶん遥か昔からあり、今なお、すたれていません。
不思議で、考えて見たんですけど…なんていうか、恋愛模様って、その時の社会制度そのものだし、当事者のそれぞれにはダップリとしがらみが絡みついています。
例えば、江戸時代のお殿様は町娘を正妻には出来なかった。もちろんそれなりの家の養子にして、娶るという方法をドラマで見たことがありますが、まぁ、普通は側室です。
これは当時の社会が封建制だったからで、おまけにそれぞれの家族の思惑などが絡んできます。そうしたごった煮を恋の大仰な感情、情動に集約して見せていく、それがメロドラマではないかなぁ…と思うわけです。
ときにメロドラマには、社会の何かが透けて見えるかもしれません。
秦の王、 嬴政は後の始皇帝です。22歳頃から、ガンガン他国に侵攻して統一国家を作ろうとしている、その何年間の恋模様を描いています。
麗姫は架空の存在です。
嬴政は冷酷残虐で知られていますが、比叡山を焼き討ちした信長のように、神をも恐れない合理的精神の人だったのかもしれません。
このドラマでも嬴政は逆らう者は女子供でも、皆殺しにせよ、と命令していました。たぶん、ここまで徹底しないと、あの大きな国々を統一していくのは無理だったろうとわたしは思います。
二人とも、当時の神仏、道徳に全く縛られていない人ではなかったかと。
そうした嬴政の暗闇、全てを踏みにじるような絶対的な権力の中に、麗姫という儒教的義理人情をもった月の輝きのような一輪の花を置く。このドラマの骨子です。
どうやら、現中国では儒教的な風潮が歓迎されているのかもしれません。
嬴政を受け入れたくない麗姫。👇
荊軻。👇
この荊軻と麗姫は恋仲です。
実は、荊軻と麗姫は子供の頃、刺客に追われる嬴政を助けたことがあります。
子供の頃の嬴政は人質に出されており、辛酸を舐める暮らしを強いられています。その時に、麗姫が身を挺して嬴政を庇うんです。以来、嬴政は彼女が彼の傷口を縛った手巾をずっと持っていて、彼女を思い続けていたわけです。
大人になって嬴政は彼女と出会い、そして計略を用いて(何故なら、秦国は彼女の国を滅ぼしていたから)、側室にしちゃいます。
(๑╹ω╹๑ )
メロドラマの王道である、ヒロインは男を覚えていない、男には恋敵がいる、ヒロインはお局から命を狙われる、がバリバリ設定されています。
ちょっと、マゾっけサドっけが散逸され、やり過ぎなんですが、そこは早送りです。
結局、ヒロインの気概、は…最後に罰せられた、と言いたい。
しかし、それは、気概を持って社会に進出している女たちの、男たちに対する最後の愛撫でもあります。
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嬴政役の役者さんがものすごく上手い。ほとんど、彼のドラマでした。彼はサイコパスの役やったらハマりそうです。
そ、これはむかついたので書いておくと、恋敵の荊軻役の役者がダイコン。