「日の名残り」という映画がある。大英帝国の衰退を背景にした執事の物語である。
先日、 日本のドラマを見た。会社員のTVドラマと、執事の映画だ。ぬるい、ひなたの名残りが日本のドラマにあった。
「ハル ~総合商社の女~」2019年TVドラマ(日本)
「うちの執事が言うことには」2019年映画(日本)
TVドラマ風な映画 「うちの執事が言うことには」を最後まで見たのは、執事の奮闘ぶりに、なにがしかの快感を感じたからだ。
彼は自分を顧みず、当主と家名のために奔走する。
そのとき思い出したのは、あの文学の香り高い「日の名残り」だ。わたしはずっと、アンソニー・ホプキンス演じる執事をミステリアスに感じていた。彼は仕事に信義を尽くす。
しかし、何故…?
ところがわたしは、 「うちの執事が言うことには」の忠義心は、ピタンと分かるのだ。
「ハル ~総合商社の女~」の第一話も、似た話だ。ある男性会社員の愛社精神のお話。彼は若き日、「人を幸せにする仕事をする」と血気盛んだった。「人を幸せ…」云々は、多分、企業倫理なのかもしれない。会社の方向性と彼のスキルや素質を組み合わせたはずの彼のキャリアデザインはとうに狂っていた。
その彼が犠牲を払って、「会社のために!」と決断した時は、軽いカタルシスだった。
2019年、この二つの日本ドラマは、もう廃れたと思っていた会社に対する忠義心を、物語にデザインしていた。
江戸時代の庶民も堪能しただろう「忠臣蔵」的、忠義というものに、わたしは、たぶん尊さを感じる。
このドラマの忠誠心から生まれるエモを、外国人は理解出来るのだろうか?
コメディだと思って笑うかもしれないな、と思う。
アンソニー・ホプキンス執事のミステリアスさは、大英帝国の文化や伝統に根ざしたものだろう。
「日の名残り」伝統の執事はすでに失われ、日本ドラマの忠義は生ぬるい。廃れつつあるのだろう。
今の若者は、会社と自分の関係をどのようにデザインしているのだろう…。