一千個晚安

 わたしは自分のブログを読み返すことに決めた。

かつては、読み返せば、恥辱に塗れて転がったものだ。コロコロと気が変わるのである。

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「一千回のおやすみを」2019年、台湾ドラマ。

 すでに亡くなられた台湾の監督でカメラマンの齊柏林(チー・ボーリン)、彼の精神を引き継ぎ、製作された。彼の作品「看見台灣」から空撮場面を劇中で使っている。ーrakutenー

 

6日前に書いた「キャリアデザイン」を読んだ。転がりはしなかったが、意味不明だった。これを紐解いておきたい。

あの時わたしの頭の中にあったのは、「あれ、あれ?中国ドラマを見ていると、日本が見えてくる!?」…だ。話しがデカすぎて、これを書けなかった。

 

「海外に出ると、日本を客観的に見られるようになる」とは、よく聞く話だ。

しかし、わたしは中国こそが重要なんじゃないかと、思った。 なぜなら中国ドラマの中に、日本のルーツが見えるから。

 

日本ヤクザ映画のエモさは、任侠や忠義を貫くことで生まれる美意識のようなものではないか、とわたしは思う。

任侠や仁義は、中国の歴史ドラマに登場する。根本にあるのは、多分「倫理的な愛」だと思う。

日本とは違う、違うが、、ルーツは中国じゃないの?

 洋画やアメドラを見ると、違いに目がいっても、日本の慣習文化に目が開ける、なんて感覚にはならなかったんだよねぇ。

「ルーツを辿る旅は自分探し」とか言うけど、ずっと意味がわからなかった。あの時、やっと、ああそうか、と思ったんだ。

 

 

中国ドラマの倫理的な愛は、たおやかで美しいものだ。

 

 表題の台湾ドラマは、自然を画面に留めている。

圧倒される自然の美、雄大さといったものを、カメラは映し出せない、とわたしはずっと思っていた。けれど、このドラマには息をのむ自然の映像があった。

 

駅長さんをしている父親は、美しい愛のある顔をしていた。彼を中心とした1話、2話はとても素晴らしかった。

彼が死んで若者中心になり、ありきたりになり…退屈で、自然の画は美しいが、見続けられなかった。