蒼穹の剣/ポストモダンな中国ファンタジー

飛流こと、ウー・レイ見たさに「蒼穹の剣」を見た。

 👇ウー・レイ17、8歳。

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2018年シーズン1

ウー・レイ主演、バロン・チェン他

 

男の子は高校生くらいの時に、少女と変わらなかった顔の線が鋭角的になり、少年と変わらなかった少女の身体の線はふっくりしてくる。息子たちの変化を見ていて、何だか残念な気がしたもんよ。

 

 ほっぺの可愛い飛流ことウーレイ👇15、6歳ごろ。

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さすがに、17、8才のウーレイに男の色気はまだない。

素敵だったのは、バロンチェン演じる大師匠!彼が出てくると嬉しかった。

 バロンさま👇

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ドラマの原作はWeb小説で、ファンタジー武侠物。

ウザイとこは飛ばすもんだとして、面白かった、楽しかったよ。

 

わたしは、中国のファンタジー物が好き。

神仙ものにしろ、武侠ものにしろ、中国時代劇ファンタジーって、、なんて言うか

現実と地続きなんよ。

現実とファンタジーは混在し、ドッコイショと頭のモードを切り替えるような壁はない。

この感じは、中国独特じゃない?

 

ハリポタにも現実世界は出てくる。でも、現実とファンタジーの間には境界がある。欧米にとって、ファンタジーはれっきとしてファンタジーなんだ。

 

中国の混在感覚を思うとき、胡蝶の夢を思い出す。

夢が現実なのか、現実が夢なのか分からなくなったとかいうもの。

なんて言うか、つまり、、胡蝶の夢のように、現実社会の意味や価値観なんてちっぽけなものだという、、達観というか、明るい虚無というか、、深いところにそれらがある。

 

日本的な思考停止したポストモダンではなく、正統と言いたくなるような、中国的ポストモダンじゃないかしら、と思う。

中国時代劇ドラマを見ていると、登場人物たちの責任感、義侠心にビックリするし、何より、倫理的なんだ。

その倫理ってのは、システムを存続させる為のもの。

官僚的でポストモダンって矛盾してるというより、システムとしては官僚的に成らざるを得ないほど、 個人主義的で責任感に満ちた個々人って感じ。

時代劇ドラマ見てるとね。