「そうかぁ。彼は足長おじさんかぁ。」
経験の少ない若い女性にとってみれば、不倫相手は大なり小なり「足長おじさん」になり得るんだと、感心しながらドラマを見ていた。
水川あさみ主演
水川あさみは要所要所で、どすの利いた声や凄みのある顔を見せる。
リアリティのある魅力なんだ。
水川あさみを見ながらドラマを楽しんでいた…ら、ラストで考え込んでしまった。
最近、わたしは、中国、韓国の現代ドラマをチョロチョロ見ている。若者が元気だ。
比して、日本ドラマの若者はとても大人しい印象。
例えば、中国ドラマでは、平凡な若者が起業する。彼の空は、見通しの良い青空なんだ。
そして日本は、既得権益の隙間をついて起業するにしても、重く雲が垂れ込めている。
そこに登場する若者は「何をしても何も変わらない」と思っているのかもしれない。案外、鋭い?
資本主義社会の成熟は、既得権益の壁を厚くし、それが経済、国を衰退させると言われる。
その成立要因のひとつである閉鎖性や、もたらされる組織の硬直化は、若者の気力を奪っていく。
「東京女子図鑑」で主人公が、港区の男性を紹介される。
彼は、既得権益層の一員である。
庶民である主人公とは結婚出来ないんだ、と彼は言った。
「文化圏の違いは、大きな負担を生む」
彼の説明は、納得しやすい。誰だって適応障害にはなりたくない。
くだんの主人公は、あっさり引き下がった。
この主人公は、最近の日本ドラマにしては珍しく活力がある設定だ。彼女は、資本主義社会におけるインセンティブを持っていた。
ここで、「文化圏の違い、面白いね」と言ったらどうだろう?
摩擦が起きてこそ、風穴があき、新しいものが生まれるってもんじゃないかい?
主人公の同僚たちの様に、保守的じゃなきゃやっていけなくなった若者が、率先して現状維持に甘んじている。
閉鎖性や硬直性は、上位1%だか2%の権力を守り、利益を集中させる。だんだん機会の平等を損なう様になる。
「機会の平等」はものすごく大事だ。倫理的な意義より、活性化の為に「機会の平等」は担保されなければいけないと思う。
つまり、閉塞感の一番の対抗馬は、活発に関わっていく多様性なんだ、と、わたしは思ったのだ。
垂れ込める曇天を動かしていくのは、みんな違うから面白い、という関わろうとする多様性なんだと思ったの。
…まぁ、確かフランスがだいぶ前にインクルーシブを取り入れて失敗したんだよね?
倫理的で受動的な多様性は限界がある。
うーん。疲れた。