満男は泣いていた。
50年の間に失ったものを思い、彼は泣くのである。
__2019年 、山田洋次監督、原作脚本。
昔、満男は一世一代の恋をした。
中年になった満男は、ある日、その初恋の人、泉さんと出逢った。
二人の三日間を軸に、家族それぞれが思い出す寅さんをいっぱい貼り付けた映画だった。
寅さんこと寅次郎は、いわゆるアウトローだ。
西部劇のカウボーイに似たところがあるかもしれない。昔はよく居たのかもしれない貧乏で定職につかず、自由気ままに生きていた男たち。そうした家族の厄介者に、渥美清は、どこか誇り高い男の美学を付け加えた。
しかし最後に満男の涙を見たとき、現代社会は、寅次郎の様な逸脱者を失ったことに気付かされる。
現代では、わざとらしく古臭い舞台美術の中でしか寅次郎は存在する余地がない。
山田監督作品には、よく特徴的な家が出てくる。
その家には、あたたかい女性がいて、必ずそこへ帰って行きたくなるような家だ。
「男はつらいよ」では、妹のさくらがそうだし、「たそがれ清兵衛」では宮沢りえが演じていた。「小さいおうち」では松たか子がそうだった。
満男の周りにいる編集者と娘という二人の女性たちには、そうしたあたたかさがある。
彼女たちは、ひと昔前のキャラである。小津映画に出てきそうな。
黄昏れた満男やはみ出し者の寅次郎が帰る家には古い女性キャラが必要なんだろうか。
満男の最愛の人、泉さんは、国連難民高等弁務官事務所で家を失った難民を助ける仕事をしている。
唯一、彼女には現実感がある。対して満男は古い昭和の中にいた。
ゴクミに備わっている意志の強さは、今風の女子であり、精一杯生きている女性のそれであり、包み込む様なあたたかさとは違う。
期せずして、ゴクミは寅次郎を遠く置き去る。しかし、彼女を後押ししたのは、寅次郎の自由な逸脱精神である。