このドラマは、ジレンマに陥った人々の話しだ。
テマティック的に言えば、白と黒の色彩が対照的に現れる。
混乱と葛藤の出来事は、黒い影と白い光の白黒映像になり、少林寺で暮らすようになった主人公の衣の色について言えば、(死、もしくは彼岸)を意識した時、彼の衣は、白い。
山を降り、此岸の只中に居る彼の衣は、真っ黒である。
これらの色彩は、物語の骨格である、(陰陽、もしくは二項対立)の象徴でもある。
葛藤する状況は、白と黒が混じり、道を選択したときは、白か黒になる。
面白いのは、修業中の彼の衣は、グレーなのだ。
二項対立のどちらでもない真ん中、中位に位置する。
中国ドラマを見ていると、中道の考え方が出てくる。
グレーは、禅の悟りや修業というよりは、中道という考え方なのかもしれない。
…まぁね。表層的に見ようとしても、わたしの癖がでる。
しかし、例えば、研ぎ澄まされた表層的な見かたの果てで、透明なわたしというものは、ある種、ユング的、集合無意識ではないのか?
(浅田彰がそのような事を対談集で言っていた)。
ユング的なものと、趣味的なわたしであるものの見かたは、同じ土俵の上である。
表層的な見かたが、カッコに入れたもの、わたしは、そっちも好きだ。
#このドラマで、もうひとつ、むっちゃ面白いと思ったこと。
かなりリアリティのある映像なのに、波動の先に仏陀が見えたり、ハスの花が出て来たり、光に包まれたり、というがっつしのファンタジー表現が、あるんだ。
中国人以外は、たぶん興醒めなん。
中国歴史ドラマに必ずと言っていいほど出てくる、超人!
神(神仙)と人の垣根の低さ!
いったい、これはなに?って思う。