少林問道 その3

このドラマは、ジレンマに陥った人々の話しだ。

テマティック的に言えば、白と黒の色彩が対照的に現れる。

 

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混乱と葛藤の出来事は、黒い影と白い光の白黒映像になり、少林寺で暮らすようになった主人公の衣の色について言えば、(死、もしくは彼岸)を意識した時、彼の衣は、白い。

山を降り、此岸の只中に居る彼の衣は、真っ黒である。

 

これらの色彩は、物語の骨格である、(陰陽、もしくは二項対立)の象徴でもある。

葛藤する状況は、白と黒が混じり、道を選択したときは、白か黒になる。

面白いのは、修業中の彼の衣は、グレーなのだ。

二項対立のどちらでもない真ん中、中位に位置する。

 

中国ドラマを見ていると、中道の考え方が出てくる。

グレーは、禅の悟りや修業というよりは、中道という考え方なのかもしれない。

 

…まぁね。表層的に見ようとしても、わたしの癖がでる。

しかし、例えば、研ぎ澄まされた表層的な見かたの果てで、透明なわたしというものは、ある種、ユング的、集合無意識ではないのか?

(浅田彰がそのような事を対談集で言っていた)。

 

ユング的なものと、趣味的なわたしであるものの見かたは、同じ土俵の上である。

表層的な見かたが、カッコに入れたもの、わたしは、そっちも好きだ。

 

#このドラマで、もうひとつ、むっちゃ面白いと思ったこと。

 

かなりリアリティのある映像なのに、波動の先に仏陀が見えたり、ハスの花が出て来たり、光に包まれたり、というがっつしのファンタジー表現が、あるんだ。

中国人以外は、たぶん興醒めなん。

 

中国歴史ドラマに必ずと言っていいほど出てくる、超人!

神(神仙)と人の垣根の低さ!

いったい、これはなに?って思う。