慶余年 その3

ドラマを見ていると、登場人物の愚かしさに辟易することがある。

「慶余年」には、その手のストレスがない!登場人物たちは、頭が切れ、見ていて小気味よいんだ。

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この特長は、脚本によるものなんだなぁ。

脚本家はワン・ジュエン。

わたしは、スン・ハオ監督の映像も好き。

引きからアップ、人物の呼吸を感じる。つまり、好き。

 

物語を進行する仕掛けのひとつに、主人公ファンシェンの生い立ちの謎がある。

開けることのできない箱の中に謎を解く鍵がある。

生い立ちの謎とは、つまるところ箱である。

物語は、親世代によって陰謀に巻き込まれていく主人公の行動を描いている。

箱はストーリー展開に直接関係しない。

 

このアイテム、箱はマクガフィン的な使われ方をしている。

マクガフィン的な使われ方」と言っても、脚本家は、自己言及的な遊びをやっている、と思う。

「箱は閉じておく。今は、やるべき事をやって生きていくだけだ」みたいなことを主人公に言わせている。

脚本家は、プロットの仕掛けを、自分を、、もっと言えば、技法を、茶化してる。

 

シーズン2は、話を箱から膨らませたり、箱を大円団に使うのかもしれない。

わたしは、邪魔にならない魅力的な謎、という仕掛けに、ものすごく惹かれる。

 

「今をどう生きるのかが大事なんだ」という冒頭の言葉や、

「何をしようと、見上げれば、蒼穹」みたいな台詞も好きだなぁ。