中国語の「桃花」には、「恋や情」の意味があるそうだ。ということなので、「玉面桃花 總相逢」を「イケメンはいつだって愛を得る」と、意訳してみた。
「玉面桃花」は、「人面桃花」の意味をひっくり返しただけじゃなく、嫌味もある題名で、ちょと笑ってしまう。
本家の詩の一節「人面桃花相映紅」を超意訳すれば、「娘の頬も桃花も、赤く染まった」。青年は、一年後、恋した彼女に会いにいくが、もう居なかった、という内容だ。
「人面桃花」と言えば、「美しい娘にもう会えない」そんな意味になる。
実はこのドラマ、シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』を下敷きにしているなぁ。そして、設定もひっくり返している。夕飯をもらえなかったり、睡眠不足になったりするのは、夫の方だ。
謎解きのミステリーに、夫婦のユーモラスな愛情物語を絡めた笑劇だった。優れものの小品だったよ。19話までは!
後半は、
単純な暴力や欺瞞のステレオタイプな話で、かなり食傷する。おまけに、妻は、天才商人へ謎の変身を遂げる。わたしはひっくり返ったよ。
そそ、実は、はじめの頃、求婚者の男(後の夫)に、不信感を持ったんだ。
わたし、じゃじゃ馬娘(後の妻)の気持ちはよく分かった。
彼女にしてみれば、結婚なんて考えてもいなかったけど、嫌いな相手ではない。だから、しょうがない事なら、「わたしのことを好きと言うなら、結婚する」と男に詰め寄ったわけ。
ところが、男は「好きだ」と言わない。。ここが分からなかった。
で、見直したら、じゃじゃ馬娘に身体ごと、グイッと詰め寄られた彼は、あらら、「子曰く、礼に非ざれば、見ることなかれ…聴くなかれ、言うなかれ…」と唱えながら彼女にクルリと背を向けていた。
なんのことはない、彼のような儒学者じゃなければ、好きだ、と言って彼女を抱きしめていたところなのよ。抱きしめれば、すべて丸くおさまったのに。。
女子目線と男子目線が絡まり合う、じゃじゃ馬ならしだった。