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叫びとささやき

イングマール・ベルイマン監督、脚本。1973年。出演カリ・シルヴァン、リヴ・ウルマン。イングリッド・チューリン、ハリエット・アンデルセン

 ツタヤ発掘良品。ネタバレ注意!

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「美」には普遍性がない。…とカントがもうしておりやした。

とても個別的なものなんですね。美というのは、対象に対して抱く、何らかの個別的な情動的感性、なんだろうと、わたしは思っています。

 

驚き、恐怖、スリル…が快感になる、こうしたことも、ある美的な経験だと思います。

 コクトーなぞは、「美とは驚きである」っつてましたね。

 

とても若い時に、ベルイマンの映画を見たわたしは、衝撃を受けました。

やっぱり、何か美的な経験だったのだと思います。

 

そして、ツタヤの発掘良品コーナーでフェリーニベルイマンを見つけて借りたわけです。

フェリーニは昔通り感激しました。

今回はベルイマンです…。

 

 

左から長女カーリン、女中アンナ、三女マリア。

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ベルイマンは映像化に伴うすべてのセンスが、半端なくすごい、すごすぎる!

そして、人物造形も余計なものを削ぎ落として、ピンポイントで迫っていく。

あと、風景の映像がわたしはものすごく、やっぱり好きだなあ、と思いました。

つまり、昔のわたしが衝撃を受けたのは当然だったわけです。

 

今回ですが…そうした衝撃は弱まって、彼の物語が、あらあ、あんまり好きじゃないなあ、と思ったです。

 

 

この映画は、貴族?の三姉妹がいて、次女が病気で死にかけていて、それを看取るためにやって来た二人の姉妹と女中のお話なんです。

次女を軸に姉と妹、女中の人間性をえぐってゆきます。 

 

病床の次女アグネス。

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 妹は浮気性で、(時系列に自信がないんですが)一度浮気がバレて、旦那さんは、自殺未遂を起こします。がっ、そのあとも、男を誘っているような女です。

でも、すごく可愛いし優しい人です。彼女は、姉や女中に比べると、普通の人だよなあ、と思ったです。

 

姉は…自分の陰部を傷つけて、その血を自分の口に塗りたくる、つう、それも、旦那とのセックスを拒否するために。もう、頭おかしいです。まあ、たしかに、「疲れてるの…。」みたいなことをゆっても引き下がるような旦那さんではないんだけど。

 

女中さんは、自分の赤ちゃんが死んでしまって、以来、次女に献身的に尽くしている人です。

 

ここら辺のことが何とも言えない張り詰めた世界観の中で表現されていきます。姉妹の喧嘩の映像表現も愉快なんだけど、まあ、字数もあるのでやめとこ。

 

で、この映画のエグさは最後にやってきます。

 

 死んだ次女がベッドに横たわっていて…つまり、死人が泣くわけです。ああああ、うぅぅぅ、って。

「辛い、寂しい、ここは真っ暗な虚無なの。側にいて。」って。

 

二人の姉妹は硬直してます。

姉は「わたしは、お前を愛していない。一人で頑張りなさい」みたいなことを言います。

妹は手を握ってあげるのだけど、死人が抱きついてきた時点で、ぎゃあー、つう悲鳴とともに逃げ、女中がまさにピエタを思い出すんですが、死人を抱きます。

片肌脱いで、胸を出して、赤ん坊を抱くように。

 

女中のアンナと死人

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葬儀が終わり、みんな帰って行きますが、形見分けを断った女中は、次女の日記を隠し持っていて、それを読み始めるところで映画は終わります。

 

 

なんというか、ベルイマンには、絶対的なものに対する強迫性を感じちゃいましたよ。

泣く死人に対する二人の姉妹の反応は、性格的なものに過ぎないと思うし、愛の話じゃないし、ましてや、真実の愛の話でもないでしょ?

おまけに、真実の愛なんて、どーでもいい。と思います。

二人は、看取りに来たんだし、それで十分よ!と、私なら思います。

 

鈍重そうな女中は、彼女は、日記を読むんです。答えが欲しいんです、自分の献身、愛に対しての答えが。

もっと言えば、朝のお祈りを欠かさない信心深い彼女は、神の返事を待っているんですよ。

 

これは、そういう天なる声を待つ鈍重な強い女の映画だと思いますし、彼女が主役だったんだな、と思いました。

 

わたしは彼女が苦手です…。