豊田市で起きた、三つ子の次男死亡事件について。
この事件の裁判で刑の軽減を願う署名が2万人集まったそうです。
まだ、ワンオペ育児を強いられ、怒りや窮状を訴えたい人がいるんだぁ、とわたしは思いました。(これはわたしの妄想です)。
この妄想に沿って、わたしの思うところを書きますね。
彼女たちの主張は2つくらいなのかなと思います。
赤ん坊には母が必要だ、という事と、ワンオペ育児の悲惨さ(自分だってやりかねなかった等)。
けれど、裁判はこれらの問題によって、情状酌量されることはあっても、子供を死なせたという罪がうやむやになるわけではないでしょうと思います。
「母親が必要なのか」ということについては、猫pさんが書かれています。
それで猫pさんがコメ欄で「2人の問題なのに話し合うことすらしないという相手と結婚するということが全く理解できません。 」とおっしゃっていて面白いなと思いました。
何故、夫と育児について話し合えないのか?
わたしの夫も子育てに関心のない、時間のない人で、ワンオペ育児みたいなものでしたが、わたしには助けてくれる友人や母がいました。
女が「とても育児が大変だ」と夫に言う時、
「なんとかやってくれよ。僕もいっぱいいっぱいなんだ」
と、答えが返ってきて、そこで、諦めたら、たぶんもうワンオペ育児の始まりです。
二人の生活というのは、二人のリズムを合わせなければならないし、それは利害の衝突でもあって、二人で問題を解決する、ということを最初に諦めた時点から、不思議なことに二人の力関係は固まっていきます。
ゆずることが出来る条件は多少なりとも自分のほうにあると思うと、頑張って主張できなくなってしまうメカニズムがあります。
二人で工夫して考え、解決方法を見つける、ということを諦めるのは、それがとても大きな労力を要するからだと思います。場合によっては相手の価値観、信念とのぶつかり合いに発展しかねないからです。
たとえ、ゆずることが出来なくとも、10分間だけでも、相手をねぎらったり、思いやったりすることが出来ればいいのですが、これが意外と難しいのです。
二人は別々のものを見ているから、視線が合いません。
女は子供を、夫は仕事しか見ていない…求めるものも気遣う対象も違うのです。
妻がぶっ倒れて病院に担ぎ込まれるまで、妻の疲れ切った顔に気がつかない夫もよくいます。
結婚って笑い話みたいね。(๑・̑◡・̑๑)