アンジェラのクリスマス

ダミアン・オコナー監督、フランク・マコート原作。2017年、30分弱のアニメ。

 

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フランク・マコートは、自らの体験を綴った物語『アンジェラの灰』でピューリッツァー賞をとりました。そんな彼の児童書が元のアニメです。

 

 お話は、別段のこともありません。

アンジェラ(多分、4歳なりたてくらい)、彼女のちょっとした思いつきの顛末が描かれたものです。

 

 ただ…このアンジェラの画が死にそうなほど可愛い!

 

テーブルにのっけた彼女のホッペがちょっこっと持ち上げられる様子、彼女の口や目が(RAW以来、言うのが憚られるのですが)、食べちゃいたいくらい可愛い!わけです。

 

こうしたアニメやマンガって、生身の女の子などよりはるかにエロっぽかったり、可愛かったりするのは、その特別な瞬間を誇張、拡張して描けるからですよね?

生の女ってのはそうはいかない、汚れや陰影やパワーがチラつくわけで。

 

…話を戻しますと、アンジェラのようなことをやるマシュマロみたいな女の子ってのは、世界中にいるだろうな、と思います。

わたしは、フワフワした小さいイキモノが大好きなんです。たぶん、オキシトシンの分泌のせいかと思うけど、小さいものに対してだけ発動します、わたしの場合。 

 

 まあ、今のわたしはニャンが恋しくて恋しくてたまらないんです。

散々わたしに抱きしめられ頬ずりされ、胸元から這い出していくニャンは、ヨレヨレでヨタヨタ歩いていて、それがまた可愛くて、わたしに引きずり戻され、ひとしきりムギューってされた後は、今度はニャンはスタスタと去ります。

だいたい、こうして2度繰り返されるのが定番でした。

ウチの男たちはニャンが膝で寝ていると1時間くらいは、そおっとそのままでいます。不思議でなりません。あの触りたいという欲動に抗えるなんて!

 

うぅ…。ぬいぐるみを抱きしめたボケ老人にならないためにも、また、ニャンを迎えようとは思うけど、ときどき、「あれ?いま、ニャンが通った」みたいな事があるので、あと少し…。

 

あ、いや…話戻ってないし…。

 

  

ドリーム・ガーデン

モンティ・ドン 2017年、

 Netflix

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「あなたがリタイヤしたら、一緒にガーディニングしようね」

 「い・や・だ」

 

…なんとRは文字通り、一語ずつ区切って発音しました。

 何故か、わたしは思い込んでいたんです、Rは一緒にガーディニングをやりたいんだと。

 

というわけで……今年の庭はわたしにほっとかれて酷い有様で、おまけにカサブランカの処理をし忘れていて、大雪が降ってしまいました。

 なら、手のかからない庭に改造していくべし、つうことで英国で一番人気のあるガーディナー、モンティ・ドンの「ドリーム・ガーディン」をなんとなく眺めていたら、

 

これが、むっちゃ面白い!

 

 1話完結で、モンティが2件の荒れ放題の庭を訪問します。

持ち主たちは作りたいと考えている夢の庭についてモンティの見識を拝聴し、それぞれ半年かけて、自分たちで作業をしていきます。もちろん最後は完成した庭のお披露目です。

 

面白そうな案件を選んで見たので、あちこち飛び飛びで見ましたが、見ながら、「バグダット・カフェ」(1987年)という映画を思い出しました。

 

 この有名な映画は、砂漠にポツンと立つ荒れ果てたカフェにドイツ女がやって来て、ひたすら黙々と働き始めます。汚ったないカフェは彼女の手によってピカピカに磨き上げられ、カフェの主人たちを巻き込んで、創造と再生の物語が始まります。

 

「ドリーム・ガーディン」も同じなんですね。荒れ放題の庭に英雄視されているモンティがやって来て庭の持ち主たちに話をするところから、彼らの庭の創造と再生が始まります。

 

太った中年のドイツ女はグレートマザーのようであり、モンティは英雄、プロメテウスのよう。

彼らは人々の心に力を与える者なのではないか、と思います。

こうした無意識的な神話の元型像を持った構造は、遥か昔から人の心を掴んできた、と思った次第です…。

 

 

 …モンティってね、むちゃくちゃ、もう魅力的!

 

 

社会に適応したくない、もしくは…

今でも彼女のことを思い出します。 

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わたしが若い時のことです。

統合失調症の女性に仕事を教えることになりました。彼女はわたしと同い年で、退院したばかり。

 彼女がこれからこなす仕事について細々としたことを説明している時、彼女は、わたしを遮って、仕事の流れの総括的な意図を質問してきました。

…わたしは、それは後から説明するから、今はこっちを、とかなんとか言ったと思います。で、彼女は突然、キレました。

これは、わたしが悪かった。説明すれば良かったのに、何故そうしなかったのか、何べんも振り返りました。

 

それで、このやり取りを上司が見ていました。彼女はクビになってしまいました。

 

ここを読んで、そのことをやっぱり思い出しました。

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

 彼女は、社会に少し合っていない人でした。

しかし、何故、彼女は社会に合わせなければならないのか?何故なら、多数の人が社会に合わせて(適応)しているから。

 

社会にはあまり意識されない規範、ルールがあります。例えば、彼女のように会社の中で、尋常ではない感じで大声をだしてはいけないとか、何か支配的な空気のような雰囲気がありますよね。

 

社会からはみ出す人ってのは必ずいます。それらの人を社会は色んな名前でカテゴライズして、適応を強制する、と思います。

 

けれど、むかーし、人々が自給自足で農業をやり、海の幸と山の幸を物々交換していたような時代なら、適応できない人がいても、彼らが属する集団はゆるーくそれらの人を包み込んでいたのではないか?

何故なら、まだ社会が成立していないから…?

仕事が人々を動かすようになって社会は成立したのではないか?と、考えてみました。

 

ゆるーい自由な集団が、いろんな形の集団があっていいのではないか?と思うけど、やはり、それはうまく回らないのかなあ…?