お父さんの庭

わたしの小さい芝刈機は有能だ。 

 蔓延っている雑草も刈られると、爽やかな草地になる。

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 ひよさんのレシピで仕込んだ梅酒。

(梅酒ゼリーを作るのが目的なので、氷砂糖は多め。塩味を効かせたゼリーは夏場に美味しいのよ!)

 

 

もとい

ウチの庭は亡くなった父が作った庭。それをわたしが引き継いで世話をしている。

実を言うと庭は山の上にもある。ここより広い。

父が亡くなった後、わたしはそこに一歩も足を踏み入れていない。

Rによると、人の手が入らようになって久しい其処は、自然に帰ってるそうだ。鹿の庭になってるよ、と。

 

で、其処のことを考えると、わたしはチクチクと罪悪感に苛まれる。

 

 父は孫たちが喜ぶからと、松を亀やキリンの形に剪定していた。

彼は庭仕事を楽しんでいた。

脳梗塞で倒れたとき、(わたしはその頃は働いていて目が回るほど忙しかったが)、父を連れてリハビリに通った。

わたしが買ったステッキを持って、お気に入りのチェックのマフラーをした父との時間がわたしは楽しかった。

 

それから数年後、父は、わたしと母がキッチンで夕飯の支度をしているときに亡くなった。

父のベッドは、キッチンから首を伸ばして振り返れば見える位置に置いてあった。

わたしは、10分くらい前だろうか、父のベッドに様子を見に行って、そのとき、父がとてもとても澄んだ目をしていて、「どうしたのぉ?お父さん?」と言ったのだけど、彼は、何か言いたそうにした後、微笑んだ。

 

そして母が父のところに行った時には、もう死んでいた。

 

 

「引きこもり」と「外部」と「個」

芝生には雑草が侵入し、もはや草地…。 

どこから飛んできたのか、ルピナスが草地に芽を出した。

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なんていうか、プライベートとパブリック、もしくは「個」と「外」、そいう対立する概念を念頭に置いたとき、わたしにとっての「個」とは、この草地だなあ、と思うわけ。

わたしというプライベートな個は、芝生だったんだけど、外部と接触する内に、影響、侵食され、あるいは、融合が進み、別のものになっていく。

 

ところが、映画を見ていて思ったんだけど、外国人にとっての「個」ってのは、たぶん、もっと絶対的で強固なんじゃないかなあ、って。

つまり、彼らにとって(映画作品が念頭にあります)、外部との接触は、コンフリクト…葛藤、争いなのであって、感覚が違うのではないかなあ、と。

 

いや、別に、わたしの個がよわっちいとかいっているのじゃなくて、個ってもののイメージが曖昧で境界線も曖昧なのかなあ、ってことなの。

 

もし、外国の引きこもりが日本ほど多くないとしたら、そこらへんに理由があるのじゃなかろうか?

 

昔、NHKのドキュメンタリー番組で、引きこもりについてやっていて、すごく印象に残っている。

長年引きこもっている兄を(何か映像関係か何かの仕事の)弟がビデオに撮り始める。初めは、怒ったりしていた兄だけど、きちんと画面に向かって話すようになっていく。最終的には、その兄は、部屋を出る。少しずつ、外に出て行くのだ。

 

ビデオに撮る、ってことが引きこもっている状態を好転させたのは何故なんだろうと、ずうううううっと思っていた。

 

 思うに、兄は、ビデオという間接的な外部を前にして、少しずつ、自分の個の境界線を準備できたのではないかしら?と思うんだ。

 

 そもそも、「個」ってものについて、ギリシャなんかに比べると、日本では新しい概念じゃないかと思う。

 

個ってものは、誰からも、何からも、脅かされることのない確固たるものである、というイメージをどれほどの人が持っているだろう?

…もちろん、これはこれで過酷な問題が出てくるだろうけど。 

 

 

 

 咲きかけの大手毬。オレンジとイエローのツツジ

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「フランシス・ハ」窓を開けないと生きていけない

ノア・バームバック監督。グレタ・ガーウィング、バームバック共同脚本。

 グレタ・ガーウィング主演。2012年。

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 このキャラの魅力をどう言えばイイのだろう。

 

彼女、フランシスは、バレエ団の実習生27歳だ。

ルームシェアをしていた親友のソフィが出ていってからというもの、フランシスの人生は、坂道を転がるような失望の連続となる。

 

ところが、だ…彼女はもちろん落ち込みもするけど、簡単には引き下がらないんだ。

 

冒頭の画面の彼女は、鈍重そうで、心も、体も!あらあ、好きな感じじゃないなあ、と思ったのはおっきな間違いだった!

彼女は、走る、走る、飛び跳ねて踊る! 

 

 

 親友のソフィとフランシス。⬇︎

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 友人達が大人への階段を登り始める中、フランシスは自分の夢を追いかける。

つまり、友人達はキャリアを諦める事になったとしても、良い男と結婚しようとする。金融マン、弁護士、といった男たちと。

 

まだ自立を果たしていない女が自立しようとするとき、その最大の障害は、恋愛、結婚、出産だ。

(もちろん、それが障害にならない女もいるし、そうした経験を通して大人になる女もいるだろう)。

 

 愚直に自分の夢に縋っているフランシスは、ともかく逃げない!挫折を味わっても、なんとかなると思っている。

 フランシスのバイタリティーは、いつも心を開いている事だ。

彼女は、自分の未来を信じている。信じるということは、心を開くということであり、心を開くから、対象を深く理解できる。

 その後のことだ、客観的になるのは。批判するも良し、受け入れるも良しだ。

 

彼女は、心が折れても、心を閉ざさない。内に籠らない。彼女の窓は、外に向かって開けられている。

 

ラストは気持ちが良い。彼女をちゃんと見ていた人が、手を差し伸べる。

 

 この映画は、全編、シロクロ。ああ、白黒は美しい!音楽も最高。いろんな名作映画へのオマージュも一杯あるようだ。

窓を背景にした画面が特に美しかった。

 

フランシスは郵便受け用に名札を書いている。

名札をさし込もうとしたら長かった 。ラストネームのとこで折りたたんで、差し込んだ。

「FRANCES  HA」。