ネイビーシールズvsエイリアン

 ニンマリしてしまうコメディだった。「Alien Warfare」が原題。

 Netflixジェレマイア・ジョーンズ監督。

f:id:knori:20190421212028j:plain

精鋭特殊部隊⤴️4人と生き残りの科学者。

 

あらすじ

 研究所で科学者達が姿を消す不可解な事件が発生し、特殊部隊は極秘に調査を開始。研究所で部隊を待っていたのは、地球に存在するはずのない未知の生物だった。Netflix

 

触れ込みは精鋭部隊なんだが、なんかが足りないために、ジワっとくるヘンテコな顔ぶれなんだ。

 

 

研究所に到着した部隊は、瞬く間に緊迫した状況に置かれる!!

ところが乗り込んだエレベーターのBGMが軽快で、思わず、黒人の兵士が頭をフンフンとリズミカルに揺らす…。

他の顔が全員、横向き!つまり彼を見つめるわけだ。

この横向きを時間差で見せるから、なんとも微妙な笑いになる。そこが面白い。

 

 

無線が入ってくる。

「あのエイリアンは、オンナだ!」。

ほぉー、確かに胸があるよね…。

 

オンナと認識されたエイリアンと黒人兵士は組んず解れつの大格闘をする。兵士の首にエイリアンがまたがり…、多少、エロっぽい…。

 

 

後半、黒人兵士が、「電話してね」と、ジェスチャーでオンナエイリアンに合図し、動揺したようにオンナエイリアンが頭を微かに振るシーンがある。

 実は、彼女の頭が揺れるシーンがすごく好きで、わたしのツボだった…!

 

 最後、

この戦いは、エイリアンと地球の兵士の双方にとって、Alien Warfareだった、という綺麗なオチとなる。

 

 平凡なオチになりかねないものを、過去の部隊の失敗を見せることによって、膨らみをもたせ、導いていく。

 

黒人の兵士の性本能はスピーシーズを軽々と超え\( ˆoˆ )/、赤毛の兄は武器を下ろす。

 

 低予算ながら、上質な無駄のない小品!

とても楽しかった!

 

 

クイックサンド

血だらけの少女が茫然としている。その顔に魅せられて、このドラマを見た。 

 

 スウェーデン発、Netflix(6話)

f:id:knori:20190420231124j:plain

 

 「THE BRIDGE/ブリッジ」のカミラ・アルグレンが、脚本を担当している。

原作は、スウェーディンのベストセラー小説で、マリン・ペルソン・ジオリト著。

 むっちゃんこ面白かった!\( ˆoˆ )/

 

あらすじ

富裕層が暮らすストックホルム郊外の高校で銃乱射事件が発生。しかも、一見普通の女子高生が殺人の罪で裁判にかけられることになり、街は騒然となる。Netflix

 

緊迫するサスペンスに、わたしは緊張してキンキンに頭が痛くなって。

でも、

面白かったのは、スウェーデンの家庭が性的に開放されている様が見えたこと。

高校生の恋人同士が、親公認で、親の家でセックスできる…。

あーはん。アメドラだって、日本のドラマだって、滅多にお目にかかれない。

 

さらに面白いのは、少女の親も学校の先生も、ある意味、理想的に子供達を尊重しているところ。

 

けれど、子育てつうものは難儀なんだわあ…。

 

少女は、大人が彼女を尊重するがゆえに、むしろ、大人を信用しなくなっていく。

 

何かに気がついた母親が、「明日にでも、彼を連れていらっしゃい。みんなでご飯を食べましょう」というが、少女は反発して、母親に相談しない。

わたしなら、「なにがどうした?訳をはなさんかいー!」つう、子供の尊厳なぞ、軽く踏んづけるところなんだけど。

 

で、学校の教師も心配して「見捨てることも必要だよ」というが、少女は、おかんむりで無視!

 

友人も心配するが、すれ違ってしまう。

 

そうして少女は、破滅型のボーイフレンドを助けるつもりが、クイックサンドに足を取られてゆくのだ。

 

庭仕事が過酷を極めておりまする。

おまけに、連休には子供が帰ってくるので、目一杯、遊ばなければなりません。

できるだけ、ブログは読み回りますが、ちょっと、留守になるかもです。

 

 

 

ドゥルーズのシネマ

ドゥルーズは『シネマ』という2巻のぶ厚い哲学書を書いている。

 

f:id:knori:20180525222403j:plain 

その本についての、あれこれやの与太話。というか、デタラメなことを書くしかない。デタラメの駄法螺のトンデモ話!(๑・̑◡・̑๑)

 

『シネマ』はむかーしに眺めたきりで、眺めたんだ、決して、読んだわけではない。

 

たぶん、哲学者がたった一つか二つの概念(と言っていいのどうかわからないが)を説明するのに、モッすごく分厚い本を書くのにはわけがある。

 ……そこが知性の営みのとても美しいところなんだ。とっ、言っておく…。

 

ドゥルーズは、『シネマ』で何を言いたかったのか?

まとめてみる。

 

2巻にわたる、ぶ厚い本だ。たびたび言うが。

 

ーーーーーーー

 私たちは、固定観念の固まりだ。

そうした縛りを少しでもほどくなら、新しい見方(知)が生まれるかもしれない。

 

「ただ映画を見なさい」

とは、手垢のついた道具を持ち出して、ありきたりの解釈をして満足するな、

ただ見るとは、身体の縛りをゆるめることだ。そうしたまなざしに、新たな地平が広がる。

ーーーーーーー

彼は、そういうことが言いたかったんじゃないかなあ、とわたしは思うわけだ。

 

 

彼は、ベルクソンを引きながら、見る、ことに迫っていく。

つまり、良い映画には新たな知を拓く可能性があるんだ、と言っているのだと思った。

 

ゴダールは、もろに、既成の物の見方に揺さぶりをかける、刺激的な映画を、あの年令になっても撮っている。

 

 

 

福男匠氏が『シネマ』の指南書を書いておられる。

眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』

眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』

 

 

# 

 余談です。(先日のブログの続き)。

 

ムカつく相手とどう付き合うか?(理解しがたい相手と向き合うとき)

 

二人の息子は、タイプが違うので、彼らに伝えた言葉は違います。

兄へ「相手から何を引き出すかは、お前次第」

弟へ「真っさらな心持ちで相対すること」

 

これらの根幹にあるのは、「信頼」というキーワードかと思います。