龍珠伝 ラストプリンセス

👇ヤン・ズーが最高に可愛い!

多々あるヤンズー主演ドラマの中で、一番、可愛い、とわたしは感激した。

でも面白い事に、ネットでは、このヤンズーを嫌っている人がたくさん居た。

理由は同じ、「傍若無人、忖度しない」。わたし流に言えば、「空気の読めないお転婆少女」だ。

日本で好き嫌いが大きく分かれるって、、面白いなぁと思う。

 

この物語は、稀有な名君、康熙帝の若き日に始まる。

清に滅ぼされたというより、内部崩壊した明国。ヤンズーと康熙帝のラブコメを縦軸に、明国残党の暗躍を『ミッション:インポッシブル』ばりに織り込んだ、なかなか面白い話だった。

 

親でもある師匠たちと15、6才の子供たち(明残党)👇

明の残党である師匠たちは、我が子を密偵として育て上げる。

15.6歳になった子供たちは、ミッションを果たすべく都へ出る。

その中でヤンズーは、みんなに可愛がられているものの、役に立たないみそっかす扱いだ。

実のところ、このみそっかすのヤンズーがミッションを成功させるのである。

そうして、みそっかすのヤンズーの純真さ、曇りのない目を通して、明復権にこだわる者たちの愚かしさを浮き彫りにしていく。

そういう組み立てのドラマのはずだった、と思う。

ところが明復権に執着する傲慢さは、明瞭化されない。

思うに、制作者側に、明残党を愚か者にするのはマズい、という忖度があったのじゃないかな?

そこかしこに露呈する明残党の間抜けぶりは、志のある立派な人たちという印象にすり替えられる。仕掛けは「ヤンズーの働きを誰も賞賛せず、別の者を褒める」という単純な方法だ。

 

わたしは、それでもこのドラマを楽しんでいた。

で、、最後。。いやあぁぁぁぁ、一切の説明なし。とんでもなかったのよ!

ネットでは、やんやの罵倒合戦、、うん、分かるよ、その気持ち。

 

まぁ、素直に推測すれば、政治力の高い、あの有名な皇太后が、隠れ家を襲わせた、と。

でも、それ以外の推測も2、3成り立つねん。

まったく、あたまくるよ。

 

 

 

窓際のスパイ

うっかり「ロンドンルール」の罠に落ちた「slow horses」は「slough house」送りとなる。みゃはは。

☝️左からリヴァーとキャサリン

つまり、

保身(ロンドンルール)に走る同僚の罠に落ちた、新人のリヴァーは、間抜け(slow horses)のレッテルを貼られ、MI-5の本部から泥沼ハウス(slough house)へ左遷された。

 

このロンドンルールは「自己防衛」って字幕なんだ。

始めのうちは、危険な仕事だし、そらそうだ、と思うんだけど、つまるところは、本作を貫く大いなる皮肉と諧謔なの。

MI-5の上司たちは、自分の利益を守るためなら、平気で部下を犠牲にする。MI-5本部の連中は、ロンドンルールに則り、保身に長けている。

一方、slow horsesn(間抜け)には、「状況を理解しないバカ」という意味もある。

泥沼ハウスへ左遷された「間抜け」たちは、善良で不器用なわけ。

この「本部と泥沼ハウス」という縮図は、皮肉っぽいカリカチュアなん。

 

なんつうかね、いかにもイギリス!って感じの皮肉と機知で逆転させたスパイコメディ物。

最高に面白かったよ!

 

ちなみに、〈リヴァー 慣用句〉でググると、SELL DOWN THE RIVERが出てくる。

裏切られる、見捨てられる、って意味。でも、英国で一般的なのかどうかは分からない。

 

「俺は、裏切られて泥沼ハウスに来たんだ。」と、リヴァーは愚痴った。

「あなたのご両親はリヴァーなんて名前をよく付けたわねぇ…?」と、キャサリンは答えた。

 

👇泥沼ハウスのボスは、実は凄腕のスパイ

☝️にゃんとゲイリー・オールドマン

 

 

 

 

写真日記

某日

「そんな面倒な事はしない!」

友人たちは、みな力強く宣言した。

これは、《動画配信の無料体験を渡り歩く》か否か、友人たちに聞いた時のことだ。

歳を取ってからの「面倒だ」は、脳の衰えとほぼほぼ同義になる。

「面倒」の内訳は以下のようになる。

 

▷そもそもの無料体験登録を忘れ、

カレンダーに設置した登録解除のアラームを、訳がわからない、と思う。

パスワードを忘れ、なぜかメモにも機種にも保存されていなくて、パニクる。

数種のパスワードを試す内、ブロックが掛かり、呆然とする。◁

 

。。年寄りの「面倒だ」は、なかなかに複雑なのである。

 

某日

育児ブログが好きだ。

あちこち見ていると、夫の少ない育児時間に不満を持っている女たちは多い。

それで思い出すのは、昔、子育て中だった時のこと。

その頃、わたしの周りには、夫の育児時間に、おおよそ満足している人々と、不満だらけの人々が居た。

双方を比べると、夫の育児時間、内容にたいして差はなかった。

夫たちは、フルで働いているので、育児にかける時間にそう差は出ないのだ。

 

ならば何故、不満派と満足派に分かれるのか?

こっからは推測に過ぎないけど、

満足派の夫たちは、育児に積極的だ。育児意欲の高い夫と妻は、一緒に同じものを見ている。つまり子供を見ている。

不満派の夫たちは、育児を手伝うものの、消極的、またはやる気がない。

そうした夫たちが見ているのは、イライラと神経質な母猫の様になってしまった妻だ。

女は夫の失望に敏感だ。身軽な独身貴族のような夫は、妻にすれば、不公平で理不尽なのだ。彼女たちは、自分のひび割れた心に気付かぬまま、不満を引っくるめて、夫の育児時間のせいにする。