「ここは虚栄の市!空虚で不道徳、そして滑稽な世界です。」
光で溢れたメリーゴーランドを背に、サッカレーは宣言する。
左から、不良娘で詐欺師のベッキーと慎ましいアミーリア。
楽しんで見ていると、ベッキー役の女優さんは、時代劇の枠に収まらない弾けた演技をしていた。
この変わった伏線は、ラストに回収される。
滔々と結びのナレーションをしていたサッカレーは慌てた。
アミーリアの兄を従えたベッキーが嬌声をあげてメリーゴーランドに飛び乗ったのだ。
「かってに楽しむんじゃない、ベッキー。
わたしの物語から飛び出すな!」
いやもうもう、最高にイカした終わり方だった。
#
わたしは、イギリス、中国の時代劇TVドラマをよく楽しむ。今回、久しぶりにイギリスドラマを見て、何故か、双方に、似たような匂いを感じた。
共通点を考えれば。。
中国時代劇を見ていると、講談師の語りは、もともとニュースだった。
こうしたものが民間伝承となり、例えば『三国志演義』のような小説に影響与えたんだろう。と、思う。
片やサッカレーやディケンズは、若い頃、報道の仕事をしていた。彼らはビクトリア朝時代、文学界の寵児、大きな影響力を持っていた。
語弊があるかもしれないけど、イギリス、中国ともに、リアル、現実的なものに向かう、似通った嗅覚を持っている。
双方とも、年季が入ったインサイドストーリーを紡ぐ。
コメディであってもシリアスであっても、リアルで生々しいものは、決して空虚にならない。
ドラマ視聴に限り、わたしにすれば、リアルの反対語は想像じゃなく、空虚なんだ。