家族の波紋、上流階級の文化

ジョアンナ・ホッグ監督、脚本。 トム・ヒドルストン。2010年。 

 

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とっても、映画的センスのある監督の作品を見た、と思う。曖昧な言い方だけど。

 

この映画は、瑣末な説明はあっても、肝心の説明が一切省かれている。

休暇に来た、母親と姉弟のイザコザだけを切り取ったような映画なのだ。 

 

あらすじ

裕福な家庭で育った青年エドワードは、アフリカで1年間ボランティア活動に従事することに。彼が出発するまでの間、家族は母パトリシアの提案でシリー諸島にある別荘で過ごすことになり、エドワードと姉シンシア、料理人ローズと絵画教師クリストファーがやって来るが、父だけは姿を見せない。映画・com

 

 映像がすこぶる印象的で、カメラのレンズはいわば、観客にとっての<何処でも窓>になっている。スクリーンが窓というわけなのよ。

ある時は、姉弟と母親の食卓を窓から見る、ある日は、人々のピクニックを眺め、画家と母親の会話を窓越しに聞く、という具合。

 

レンズが窓になっているので(固定されている?)、登場人物たちがカメラに近づかない限りは、アップにはならない。面白いでしょ?

 

 

 食卓での姉と母とヒドルストン。

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 また、絵画のような写真のような、そういう切り取られ方をした風景の画面が何べんも出てくる。

色がうっとりするほど美しかったり、構図が面白かったり。

 ちょっとね、惚れ惚れした。

 

映画の中で、絵画教師がこういうことを言う、「ほら、このはっきりしたブルーを消してごらん。そうするとボンヤリしていたここのブルーがみえてくるでしょう?色は関係の中にあるんです。」

 

 昔、ソシュールの説明本か何かで読んだことがあるなあ、と思う。

 

この映画は、確かに、刹那刹那の関係だけを描いているとも言える。

それらの関係性の中から、曖昧模糊としたヒドルストンに集約的に光が当たり、彼の存在がはっきりしてくる。

 

以下は、彼の人となりを、その印象を記す。(わたしは英語ができないので字幕に頼っているので、相当間違っているかもです。)

 

クイーンズ・イングリシュばりばりのヒドルストンは、いわゆる上流階級の人間で、彼の文化圏の中で、ゆるく楽しく生きてきた感じで、姉ちゃんによれば、父親も怒った、何か研究か任務か仕事を途中で止めたようだ。

そして今、彼は、アフリカにボランティアで行こうとしている。

姉ちゃんは、これにも怒っている、いい気なもんだ、と。

 また、姉ちゃんは、彼がコックのローズに気を使うことにも苛立っている。

 

けれど、これは、イギリスの上流階級の帝王学つうか、下の者の文化に理解を示す、という態度であろうかと、わたしは思ったけど、どうやら家族の中で唯一、社会に出て仕事をしているらしい姉にしてみれば、現実感欠如の甘ったれた倫理観にしか見えないし、弟のゆるさが、彼女のイライラの元になっているのかもしれない。

 

ヒドルストンが姉ちゃんにドアの陰からパペットを使って謝るシーンがある。

「姉ちゃんの面倒は僕がちゃんとみるから」と言っていた。

 ほぉー。いずれは当主かなんかになるだろう呑気な弟に、姉は八つ当たりをしてたのかぁ?

 

いずれにしてもヒドルストンは何処へ行こうと、大して変わらない人だろうと思う。

彼は、上流階級の文化そのものの様な人間なのだから。

 

休暇が終わろうとしている、家族はそれぞれの日常に戻っていく。