グザヴィエ・ドラン監督主演作品❣️スリラーもの。
ネタバレ注意
面倒くさがりのわたしが監督について調べた!
彼は天才と言われている20代!の監督!すごい!(上の写真がその人、25才の時の作品)
紙ナプキンに書かれる青色の文字、車中の斜め後ろからの横顔、それらの接写と構図が並みのセンスじゃない。すごい。
映像と音楽だけで、最後まで観るものを疾走させる。完璧!
構成にも無駄が一切ない!上手い!
どーすんだ?こんな子が出てきて。他の監督たちはぁ!(わたし、興奮したっ!)
映画は、グザヴィエ・ドラン演じるトムが死んでしまった恋人ギョームの実家へ葬儀のため出向く。そこである力に捕われてしまう、というお話。
「弟(ギョーム)がゲイだったと母親にバラすな」と暴力を振るう兄のフランシスが恐ろしい!
最初、トムはフランシスの暴力から一旦は逃げるもののファームに戻ってしまうのは、母親アガットの深い慟哭に共鳴していたからだと思う。
しかし、それ以降、フランシスに組み伏せられたり、首を絞められたり、その度に、トムが写る画面のアスペクト比が変わっていくのだ。最後の逃走の時には息苦しいほど画面が狭まる。
つまりはトムがフランシスの支配に屈する、その力に取り込まれていく表現。
結局トムはフランシスと寝るのだけど(ベッドの位置)、兄弟はバイセクシャルで兄は弟と関係していた可能性があるなあ、と思った。
トムの怪我を見たアガットはフランシスを睨みつけるし、16才で家を出てしまった弟について、アガットは兄の暴力のせいだと思っているんだろう。
にしても彼女はビタンビタンと息子をよく殴る…。
最後に、トムは「アメリカなんてウンザリだ」という歌と共に逃走に成功するが…。
見終わった後、わたしはゴダールの「勝手にしやがれ」を思いだしたけど、フランシスは、社会における支配的な権力者の象徴だ。
ゴダールの時代は「クタバレ、体制!権威!」と叫んでいれば良かったけど、現代はちと複雑。
よってこの頭の切れる若者グザヴィエ監督は、フランシスにUSAのジャケットを着せる。
ここに観客に対するアイロニーはみられないと思う。
今の日本でさえ、「USAの言いなりになるな」とそこかしこで言われるわけで、USAに象徴されるものにうんざりだ、と受け取ってかまわないよ、というニュアンスだと思う。
しかし、この映画の屋台骨は(グザヴィエという)ゲイである若者が必死にあがらう、支配者、権力者、社会に対する強烈な愛憎だ。