テトロ/過去を殺した男、わたしのフィギュアであるコッポラ

 フランシス・フォード・コッポラ監督作品、脚本、制作(2009年)

 

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たとえば、ピカソ

わたしはピカソのデッサンやなぐり書きのような 下絵をみたとき、あまりのセンスの良さに驚いた。そして見覚えがあると思った。

たぶん、彼の驚きのある美しい線はコピーされ他の物と融合され、それがまた、コピーされ融合され、センスの良いポピュラーな商品としてある日、私の目に触れたのだ。

 もちろん、ピカソも何かの影響を受けたのかもしれない。彼はアルタミラの壁画の線を美しいと思ったのかもしれないし、知識のない私にはそれはわからない。

 

言いたいことは、わたしにとってセンスの良いものとは、すでにお墨付きの商品として出回っていて微かにその面影に彩られているもの、そういうもののことだ。

 

だからこの「テトロ」の映像は、信じられないくらいセンスが良いとしか言えない。

 

白い光が繊細さをこの白黒の映像にもたらす。オープニングも最後の映像も美しい。

 

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アンジーはテトロと名前変え(ヴィンセント・ギャロ)、何もかも捨てて家族から逃げてきた。テトロは喪失の闇を抱えて生きている男だ。

ベニー(オールデン・エアエンライク、笑顔がディカプリオにそっくり!)は、兄のテトロを慕っている。

テトロが家を出てから8、9年後、17歳のベニーは兄を訪ねる。そこから息子を失ったテトロの喪失と再生の物語がはじまる。

 

…これ以上書くと、ネタバレになると思うのでやめます。

 

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胡蝶の夢」の女優さんのインタで「素晴らしい経験でした。コッポラは、同じシーンを20テイクくらい繰り返します。ここの台詞をこう変えてやってみて、とか、やっぱり、違う…と考え込んだり、最後には台詞なしでやってみて、OKが出たり。ほんとに楽しかったです」と言っていた…。(うそこけぇ!あったまきたんだろうなあ。)

 

この映画では、アルゼンチンの俳優組合と揉めたとある。(スピルバーグのリーダーシップと比べると泣けてくるよ)。

 

わたしが思うに、コッポラという 人は、イメージとエモの氾濫に取り憑かれてしまうんだと思う。よくコッポラのことを野心家で事業に失敗したアホ、みたいに書いてあるのを読むけど、野心家なのかなあ…。

ただただ、自分の想念に取り憑かれて抜け出せなくる、頭のおかしな天才系の芸術家だと、わたしは思うな。

 

だから、別段、想念にとり憑かれなかったワイン事業は成功したんじゃないの?

 

この3作品(胡蝶の夢、テトロ、ヴァージニア)もメジャーな横槍が入って、ドラマチックにしたり、短くカットしたり、ということがなされていれば、ヒットしたと思うな。

 

これら3作品は素晴らしいとわたしは思う。

彼が、情動に取り憑かれた状態(恋煩いに近いかもね?)、その彼がやっとこさ、恋煩いを整理しながら、問題を解決しながら、好き勝手に、楽しみさえ覚えながら撮ったであろう、これらの作品は、美しい、とわたしは思う。 

 

また、作品を見せて欲しいけど、なんだか、また、総合コンテンツみたいなヘンテコな夢に取り憑かれているみたいだ。がんばれ、コッポラ!