フランシス・フォード・コッポラ監督作品(2007年)コッポラ(脚本・制作)
エリアーデ原作『若さなき若さ』
「わたしは夢をみていた。
目的もなく軽やかにひらひらと飛んでいる。わたしは蝶だ。
そして目が覚めたが、ベッドの上で目覚めているわたしは、蝶がみている夢なのではないだろうか。」
ドミニク(ティム・ロス)は、友人達に荘子の「胡蝶の夢」を語る。
口を押さえた彼はよろめきながら、外へ出た。
一面の雪景色。階段の下に倒れているドミニク。
美しい女の声が問いかける「そして3本目の薔薇はどこに…?」
感動して泣きました、わたし。
歪んだ時計、若い女の顔と骸骨、このシュールなオープニングはドミニクの見ている夢。クレジットロールの赤い薔薇が、音に合わせて震える。
この映画はおそろしくセンスがいいです。
言語学者であるドミニクは、愛するラウラ(アレクサンドラ・マリア・ララ)を手放し、研究に打ち込んできたが、70歳の今、生涯をかけた研究は完成せず、彼は、自殺を考える。
しかし、雷に打たれた彼は、若返り、時間を超えて生き、分身と言い争い、ラウラに生写しのヴェロニカと愛し合う。
夢のシーンは逆さまのショットから始まり、横向きや斜めのショット、ハッとします。美しいショットやしーんが沢山ありますが…わたしは、途中ウトウトしてしまいました。それでもこの映画は素晴らしい作品です。
荘子は、なにものにも束縛されるな、 蝶であろうと荘周であろうと本質は同じだ。あるがままを受け入れる事が、自由な羽ばたきなのだ、と言うわけですが、ドミニクの分身も似たようなことを言ってドミニクと言い争っていましたが、結局、彼は、荘子を否定したのだと思います。
彼は、人生をかけた知の追求の目的から自由になっても、ラウラの死を受け入れる事ができず、ヴェロニカを生かすために自分を犠牲にするのですから。
この映画に荘子の話は少しだけです。主に宗教哲学者であったエリアーデの思想が主題になっていると思いますが、日本人に馴染みのある荘子の万物斉同でもあながち間違いではないと思い、使いました…。