ヴァージニア(twikt)、限りなく透明に近い笑顔

フランシス・フォード・コッポラ監督作品(2011年) 。

 

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錆びれた風見鶏のショット。そして動物のフィギュアがひっくり返っている。

冒頭からもうもうただらぬ気配に支配されています。(何の気なしに見始めたAmazonで。こっこれがコッポラ?!)

 

原題の「twikt」は「between」と意味だそうです。

 三流作家のホール・ボルティモアヴァル・キルマー)が売れていないオカルト小説(自作)を売りに(サイン会)にたまたま立ち寄った町は、不思議なところです。

 

彼はそこで、過去と未来の、現在ではない間、の空間に陥ります。(そうとしか言えない)。保安官に殺人事件の被害者である遺体を見せられた彼は夢と幻惑の世界に入っていくのです。

 

彼の夢に現れたのはVと名乗る少女。(エル・ファニング、13歳だけど、オーラがすごい!大女優かと思った)。

 

夢の中は色がほとんど無く、エルが美しく妖しく佇みます。時計台と星々のショットが美しい。

彼は夢の中で、エドガー・アラン・ポーとVに導かれて、過去の陰惨な十二人の子供殺しを見ます。(ポーは実際にボルティモアで不審死をとげている)。 

 

この映画の奇怪さ、仮面のようなメイク、バロックスタイルでしょうか?ポーが滞在し、十二人の子供の墓場でもあるホテルの外観は表現主義的なものを感じます(なーんちて。お勉強したばかりなので使って見ました。が、テキストを読んだだけなので、違っている可能性高いです)。

 

作家が新作を書こうとして、呪文のように唱える、というか囚われている「霧が、霧の湖が、霧と靄が…」というシーンではわたしは笑いすぎて停止ボタンを押しました。

彼は何とかしてシュールな世界に潜り込みたいのです。

 

そしてこの映画はホラーじゃありません。(だって、鮮血のシーンで、わたしは目をつぶらなかったし、毒が全部出つくすようで綺麗だった…)。

 

 ともかく、すげー面白い、と思いながら見ていたわたしは、終わりに作家の能天気な笑顔に裏切られます。

 

自己言及なのか確かな物への否定なのかわかりませんけど、コッポラが狙った効果はなく、それまでの素晴らしい映像を貶めているとしか思えなかった。

 

 

コッポラ監督に対するわたしの印象は、なにか、時代と彼の持つ多層的な闇が重なり合っている、小説家みたいな映画監督、です。

 

だから、例えば、スピルバーグとかイーストウッドとか、ドキュメンタリー風映画撮っているじゃないですか?(ハスミン言うところの明るい透明感)。

インビクタス」とか、残っているマンデラさんの数々の写真と寸分違うぬ、おんなしだから。握手シーンや帽子を振ってるとことか。密室でのやり取りだってもしかしたらメモか証言があるやもしれん。(わからんけど)。

 

あ、で、コッポラにはああしたドキュメンタリー風映画は絶対に撮れないというか、どうしたって(万人を惹きつける)影がさす、だろうとわたしは思っていた。

 

でもさ、この映画見て、なんかコッポラ変わったというか、わたしがバカなだけというか。

…まあね。