マーク・フォスター監督、2005年。出演ユアン・マクレガー、ライアン・ゴズリング、ナオミ・ワッツ。
瀕死の彼の顔は、彼の顔でない。
個別化されない顔だ。
映画のエッセンスが彼の瞳に吸い込まれ、わたしはそれを見る。
この映画は「ネバーランド」で高評価だったマーク・フォスター監督の次の作品なのだけど、えーと、めっちゃんこ、低評価だったらしい。
でも、わたし、この映画好き!まあね、ユアンとゴズリングというわたしが好きな俳優が出てるわけだけど。
あらすじ
精神科の医師であるサム・フォスター(ユアン・マクレガー)が担当していた患者、ヘンリー・レサム(ライアン・ゴズリング)が自殺する日時を予告して姿を消した。サムは彼を救うため必死で行方を探す。wiki
あ、そうだ。ナオミ・ワッツも出ているんだけど、 わたしこの女優さんて、全く印象に残らなくて、騒ぐ人がいて、やっと、彼女を認識したという。
すごい美人なんだけど、やっぱこの映画でも、意識しないと忘れそう。
男と女ってやっぱ趣味が違うんだよね?
わたしは、ケイト・ウィンスレット、サンドラ・ブロックとか好きだけど、Rが嫌うのよね。もっすごく不思議で理由を聞くとさ、「ケイトは歩き方が嫌。サンドラは顔が嫌い」つうのよ。
もうわけわかんないわけ!ったくぅ、女の趣味が悪いんだから!
……と書いて、ハッとした。(・・?)
ん…?
まあ、映画の話に戻ります。
映画って、現実じゃないけど、現実みたいに見せるでしょ?
だから逆に映画で、現実じゃないもの、を見せるのはなかなか難しいわけ。
それをこの映画は、最後のほうまでやっている!
冒頭から画面がフワフワして、これは撮り方なんだけど、あれ?と思わせて、それから、ほぼ、ノーマルになっていく。
けれど、観客って無意識のうちに映像を見ながら、映っていないもの、映画の世界観、というか、関係性みたいなものをつかんでいく。
それが、この映画では、まったく、像を結ばない。
だから、これは、現実じゃないんだな、と思わされる。
ゴズリング、24歳くらいだと思う。
中盤くらいまでそういう状態の映像を見ていて、後半になるといよいよ、画面でおかしな事が起こる。普通に話していたゴズリングのお母さんの頭から血がたらーりとたれてきたり、これは夢か幻か、状態のものが、横たわるゴズリングの瞳の中に吸い込まれていくわけです。
この時の顔のアップは、映画のなにかを写す顔で、ゴズリングという固有名詞じゃないんだ。
彼を写すカメラは最後に引いていって、そうなって、初めて、わたしは、この青年がしみじみ哀れで、泣けない悲しみが満ちていったわけで。
この映画は、もう一言で言えちゃうほど単純な話を、ここまでやったのか、つう、いわゆる力作だと思ったです。