パターソン 一遍の詩、としての映画

 もしかしたら一番好きかも、ジャームッシュ作品の中で。

 Amazon

f:id:knori:20191116000340j:plain

 

ジム・ジャームッシュ監督、脚本。2016年。

アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ。

 

 ニュージャージー州パターソンでバスの運転手をしているパターソンは、周囲の会話やマッチ箱といった何げない物事に着想を得た詩をノートに書き留めている。シネマトゥデイ

 

何も起こらない。月曜日から日曜日まで、7日間のパターソンの日々がひたすら綴られている。

パターソンが好きだという詩人はウィリアム・カーロス・ウィリアムズ

 

昔、雑誌で見たなぁ『赤い手押し車』。わたしは詩が苦手。若い時に読まされたものが悪かったのか、難解というイメージを持っていた。けれど、その雑誌に載っていた詩は、あれぇ、わたしすきだ、と思ったんだ。

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズという詩人はアメリカの巨星で、「ありのままに受け取る。事物には観念がある」というようなことを言ったらしい。記憶が曖昧…。

けれどこの映画を見ると、ジャームッシュは、この有名詩人の理論に沿って映画を作った、と思えてくる。

それは事物の映像。

 

パターソンは日常を、浮かび上がる一コマを、表現せずにおられない。妻の話に耳を傾け、よく笑うパターソンは…あぁ、なんと妻を愛していることだろう。

昔の放浪詩人の様なパターソンはしかし運転手の仕事をし、必ず妻のいるところに帰る。彼はたぶん芸術家なのだろうが、なによりも一般人である。

ラスト、彼は詩のノートを失うが、それは、彼の詩の完成であり、刷新なのだ。

一般人である彼の芸術はそういうものであるのだろう、と思った。

 

そそ。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは「パターソン」という詩を出しているわ。読んでみたいな。