アントン・イェルチンの遺作となってしまった映画「ポルト」。
監督(ゲイブ・クリンガー)
製作総指揮(ジム・ジャームッシュ)
ジェイク(アントン・イェルチン)
マティ(ルシー・ルーカス)
(わたしはスタトレのチェコフ(アントン)が好きです!マッコイとのやりとりが大好きでよく思い出します。)
涙を拭きながら、それで終わってればよかったのに、もう一回「ポルト」を見てしまった!(だって遺作だし、お別れだし。)
そーれーでぇ、「ポルト」、わかりません。何が何だかわからなくなったあああああ!ので書くことにする…。
この映画のあらすじは、
ジェイクとマティは、一夜限りのセックスをします。
2人は別れます。その数年後か10年後か(犬の元気さを見ると、数年後、娘の成長の度合いを見ると10年後)の現在、2人は過去のあの夜を思い出します。
それを「一章ジェイク」、「二章マティ」、「三章ジェイク&マティ」と区切って映し出します。
現在の2人の様子を交えながら、過去の一夜の2人を三方向から描いています。
まあ、それだけの映画のはずがぁ、(ポルトの風景とピアノの音がすごいシック!だとか、映像、どっかで見たような懐かしいような、ま、すごくいいんだけど、とか、ああ、服を脱ぐのももどかしいセックスってあるよなあ、とか、でも、セックスシーン長い!長すぎる!とか、そうゆうことは書かない)
2度見たせいでおかしな点に気がついちまった。
( まず、画面のアスペクト比ですが、ワイドなほうが過去、狭いほうが現在です。)
その一、
現在の老いぼれたジェイクが寝ています。彼は過去の一夜の夢を見ているようで、
夢の中で彼は彼女に「時間は無限だ」と言い、次にはポルトの駅にいます。
彼は拳をきつく握りしめており、その手は汚れ、そして雑踏の中、彼は1人呆然と立っているのです。おまけに彼以外の人々は早送りで歩いています。
この夢の意味がわからない。
その二、
2人の関係が続かないことが決定的になるシーンがあります。まだ寝ているジェイクを残してマティは家を出るのですが、書類ケースも持っているし、バッグも持っているし、研究室の教授のところに行ったのでしょう。(教授はマティの恋人)そして午後になって彼女は教授と一緒に帰ってきます。ジェイクはまだ部屋にいました。
その後、2人は別れるのです。
しかし、三章ではです、ジェイクはまだ寝ています。マティは家を出ます。ここまでは、同じです。目を覚ましたジェイクはマティの書き置き(「好きなものはなんでも食べていいのよ」というやつですが、何遍も出てきます)を見ます。
そこへ、買い物袋を持ったマティが帰ってきます。着ている服は恋人を連れ帰った時と同じ。でも彼女はひとり。寝ているジェイクの横にブーツを脱いでもぐりこみます。二人は幸せそうに見つめ合います。心臓の鼓動も聞こえます。ジ・エンド。
ととととということは、画面のアスペクト比だけど、ワイドなほうは、実は現在、進行中の現在で、狭いほうは、それぞれが、想像した未来。
つまり、ジェイクは(ジェイクの章で)、彼女をこのまま手離した未来を夢で見ているのか、想像したか、です。そして彼女が恋人を連れ帰った場合もワイド画面で想像した、と。
マティも(マティの章)で、ジェイクを手離し、恋人と結婚、子供が出来る、そして離婚。娘は元夫に懐いて自分には反抗的。おまけには、パリの母に幸せそうに見えない、と言われる。これはすべて、彼女がジェイクを選ばなかった場合のシュミレーションを彼女はしている。
わたしにとっては、こっちのほうが辻褄があうわぁ。
だって、
三章で、深夜、ことの後、二人でご飯を食べながらお喋りをし、帰り道歩きながら「愛してる」とお喋りをし、アパートに戻って、80才のセックスをし、「これからどうする?」「わかんないね」みたいな会話もし、疲れ果てて眠った、女が特に女が、あれだけ強烈に惹かれ合って、セックスした次の日の午後に、恋人を連れて戻る、おまけに、あの書き置き!ありえないしょ!
そして、数年後にしろ、10年後にしろ、娘とワンコの年齢がおかしいし。
あの終わりは、これからどうなるのか分からないけど、二人の関係が始まったシーンなんだ!
うぅ…。よかったね、アントン。(どうかこの読みがひっくり返りませんように。)