バイブル、3作を読んだことの感想。
『映画の見方がわかる本』(町山智浩)
町山さんは、データーから映画を読み解くことを推奨している。
わたし、思うんだけど、推理して(バイアスをかけて)、データ集めをすると、良いだろうと。試行錯誤になるだろうけど、正確になるしょ?
ま、しかし、そこまでは出来ないけど、せめてネットを当たるくらいのことは、最低限のリテラシーなんだな、とわたしは身にしみて思う。
でもって、町山さんは文章が上手くて熱量がもっすごくて、 彼のノベライゼーション風な世界観に引き込まれる。ものすごく面白いです。
だけど、わたしは息苦しくて、次に読んだ
『タッチで味わう映画の見方』(石原陽一郎)
で息がつけるというか、この本がわたしは好きだし、(町山本に微かな嫌悪感を持っていることに気づかされる。)
この本は町山本と真逆です。
「そしてこの視点から内容を解釈し(意味)を見出すことが鑑賞なのではなく、映画の形式に着目し、固定された<意味>から自由になることが鑑賞なのである。したがって映画の見方に正解=意味などありえないという(…)」
と語る石原氏はポストモダンなわけです。
ただ、わたしは、映画に飲み込まれて見るタイプなので、自由になるためには、2度見ないといけない…。これは難しいです。(町山氏のYouTubeでさえ、見れないよねぇ。文章になってれば、数分で読めるところ、20分YouTubeを見るというのは時間がもったいないんだもの)。
第一、わたしにタッチタッチタッチタッチが分かるはずもなく…(致命的!)
つまり、タッチを理解するには例題に上がっている映画を何遍かみて、彼のテキストを読み込まなくちゃならない、わたしの場合は。出来ない…よ。
「一本の映画を千人が見るとき千の映画ある」ならば、蓮實重彦氏のこの高級で奥を感じてしまう本は彼の知識の広大な広がりそのものである。
『映画時評2009〜2011』(蓮實重彦)
まだ、見たことがある映画のところ2つしか読んでないけど、すごくいい本!
(わたしは、むかし、『物語は終わったor小説から遠く離れて』だったかの本を買って、1ページ目でこと切れ爆睡。わたしのよだれあとがついたこの本を古本屋に即売った、ということがあった)ので、用心してこっちを買った。正解でした。
こっちはとりあえず、デリダをスラスラ読めなくとも何がなくとも読める。
おまけに、映画評論界隈に彼が存在したことに感謝させられる。そういう気になる。
だけど、彼は知らない。
「その窮屈さは、理不尽に生を奪われた映画の遺体が、艶やかに死化粧をほどこされて棺桶に横たわっているかのような印象をきわだたせている。」
ここでわたしが爆笑したことを…。