TVで虐待のニュースが流れている。
20年くらい前かなぁ…盛んに「家庭・家族」が島宇宙になってきている、みたいな話があった。
昔の家屋は縁側があり、近所の人が立ち寄っておしゃべりしたり、垣根越しに挨拶したりしたもんだ、と。
それが、家族はどんどん密室、閉鎖的空間になって孤立してきているのだ、と。
虐待の報告が増えているのは、市民に報告の義務が課せれた、というのもあるにしても、昔だったら…近所のおばちゃんや顔見知り程度の人たちが助けたり、教えたり、子供を預かったりして、ことなきを得ていたケースも…もしかしたら多かったのじゃないかなぁ、と想像した。
わたしは虐待のニュースが流れるとTVを消していた。胸のあたりがおかしくなるから。
でも、猫pさんが記事を書かれて、うーん。ついにわたしは、ネットで虐待のニュースを読みまくったわけで。
児童相談所というところがどう機能しているのかわたしは全く知らなくて。
ウロウロしていて湯浅さんの記事をみつけた。
とても印象的だったのは、今、権限が強くなった児相は
「子どもの安全を図るための職権保護など、「相談機関」というよりも「保護という行政処分を行う機関」という色合いが濃くなっている」
という箇所。
かつての福祉的アプローチが減ってきているらしい。
「 悩みながらも思い通りに子育てできない親御さんたちのいら立ちに寄り添うというアプローチからは遠ざかってしまっているとも感じています。」
つまり、危険な虐待、ではなく、軽度の虐待、軽度という言い方はおかしいかもしれないけど、えっと、わたしが言いたいのは、
昔のパターンですが
「ちょいと、お前さん、何やってんだい?雅代、雅代、きとくれ。
この坊やを連れて行って、ご飯食べさせな。」
「さあ。訳を話してごらんよ。」
…みたいな近所の人…がいれば、ことなきを得たかもしれない、って。ね?
どう思う?
なんていうか、若い混乱しているママに、周りの大人たちは信用していいんだ、と。信じて頼っていいんだ、と、わからせたい、わたしはそう思う。
もちろん、若いママは心に問題を抱えているかもしれず、そういう時は、保健師さんが定期的に訪問して、ケアする、と。
こうしたことがかなわなくなっている今、わたしは猫pさんがおっしゃる「相談員」のアイディアは面白いとおもうし、また、私は、後ずさるんじゃなくて、声かけをやってみようと思う。
ここに、心愛ちゃんを虐待した父親のような人は入っていない。
彼は、DV男だし、アメドラなんかだと、彼のような人は家族から引き離されて治療を受けるよねえ?おまけに、大の大人たちが縮み上がるほどの恫喝だったってんだから。もういやだ、そんな男。
児相に勤めていた人の報告もありました。
こうした問題は、放っておくと大きな格差を生む。
深刻な格差は、経済を弱体化する、と、えっと、どっかの国際的組織が警告している。
ほっておけない問題なんだよ。